8月 (သြဂုတ်လ) ※1チャット=闇レート3.3円位(公定は25円)ラペッイェー(紅茶)=5チャットウェタードウットー(豚の串刺しモツ煮)=3本で2チャットコンヤ(噛みタバコ)=5ピャー 当時、個人旅行はできなかったので、ヤンゴン滞在のみのツアー旅行に申し込みました。ただし、参加者は私ひとり。まったく形式的なツアーで、公営のツーリストバーマのガイドは一応いたものの、ミャンマーでの日程はすべてフリー。宿は、何と改装前のストランドホテル旧館でした。 ヤンゴン (ရန်ကုန်) ヤンゴンの繁華街は、ちょうどアウンサンスーチー氏のNLDが選挙で大勝利を収めたばかりで、喜びとであふれていました。しかし、あちこちに銃を持った兵士がいて、また私服の秘密警察らしき人から、何でもない場所で「写真を撮るな」とよく言われました。そんな中で歩きながら撮った写真です。撮影場所は、容易にわかるものから、これだけでは判別しようがない、というものまでありますが、今あらためて見てみると、旧ソ連圏の都市?のような街並みもあって、案外面白いです。今後このコーナーで、ちょっと今昔物語みたいなことも計画しています。 ヤンゴンのダウンタウンのまさに中心部。スーレーパヤー(仏塔)の姿は今も昔も変わりませんが、人々の佇まいは変わりました。※写真をクリックすると29年後(2019年)の状態に シュエダゴンパヤー通りのミドルブロック(GEC前)にて。ほんのひと時、NLD勝利に沸いていました。※写真をクリックすると29年後(2019年)の状態に 1990年8月24日撮影。民主化運動弾圧後の軍事政権下で行われた総選挙で大勝利したNLD。党の新聞を掲げて歓喜する青年。その後の長きに渡る弾圧前の一瞬の喜びをとらえた写真だが、撮影当時はまったく気にも留めなかった点が、今になっては貴重な1枚となっている。それは背景。これを撮影した場所は、その後、激変。現在、この青年の後ろは、テインジー市場ブロックDにあるショッピングモールのガモンプウィン(シュエダゴンパヤー通り)あたり。※写真をクリックすると、現在の様子(Google mapのストリートビュー)へ※同時に撮影した動画はこちら 8マイル。当時、新築だったこの建物は、近未来を思わせる無機質さを漂わせていましたが、現在ではすっかり変わり果てて、この地に溶け込んでいます。 上の写真を拡大。※写真をクリックすると23年後(2013年)の状態に 植民地時代に導入されたカナダの軍用トラックChevy C-15を改造した市バス。 ロンヂー率100%。 こうして賑わうのは21時半くらいまで。外出禁止令で22時以降は誰もいない。 ここはかなり変わりました。※写真をクリックすると27年後(2017年)の状態に ボージョーアウンサン市場。あまり変化のないスポットではありますが、時代を感じさせるところはあります。※写真をクリックすると21年後(2011年)の状態に ヤンゴンの繁華街によくある路地。29番通りです。 ※写真をクリックすると30年後(2020年)の状態に バゴー (ပဲခူး) ヤンゴンの繁華街をぶらぶらしていたら、タクシーの運転手から「バゴーに行かないか」と声をかけられ、交渉の結果、1500チャットでバゴーツアー成立。一番印象に残っているのは、初めて飲んだ「マンダレービール」。当時国産ビールはこれしかなく、ラベルの渋さと飲んでも全く酔わなかったことが忘れられません。 三大パヤーのひとつと言われています。 当時唯一の国産ビール「マンダレービール」のラベルが渋過ぎ。 ※今回、ソニーのハンディーカムで撮影した映像をアップすべく、撮影した8ミリビデオカセットテープを引っ張り出して再生しようとしたところ、残念なことに再生機が動作しませんでした。ということで、良い中古を見つけて、再度挑戦する予定です。 フォトアーカイブへ 1991年へ FacebookXCopy