バマー・ムスリムの現状と揺らぐ国家理念

現在、さらにウ・ラザッが築き上げた法的地位についても揺らぎつつあります。たとえばバマー・ムスリムの新生児登録について、以下のような状況が進行しています。まず1999年あたりから、両親(ビルマ民族)がムスリム名で国民登録している場合について、その子供をビルマ民族として登録することが困難になりました。そして現在(2000年)に至っては、登録上の名前がビルマ名の両親であっても、ビルマ民族としての新生児登録が非常に困難になってきています。さらにこうした動きは、登録の更新にまで及んできました。ビルマでは出生時の登録以降、3回(12歳、18歳、30歳)IDカードを更新しなくてはなりません。その際における民族名の記載について、バマー・ムスリムが従来どおり「ミャンマー」とすることが難しくなってきたのです。申請者は担当官から「あなたはムスリムだから、民族を『ミャンマー』とすることについて、ここでは判断できない。上部組織(上部行政区画)で検討するよう、上から言われている」といった旨を告げられ、そのまま保留状態がいつまでも続くといった具合です。バマー・ムスリムでもそれ相当の人脈を持つ者ならば問題はありません。しかしそれ以外の大多数の者について、広く一斉にこうした動きがみられ、また単なる慣例的な“手数料”請求の口実ではないということが、担当者の対応そのもの(“手数料”額の大きさが相場を逸脱しているという点を含めて)からうかがえます。そして、こうした状況は紛失時における再発行についても同様です。

以上のような現状は、ウ・ラザッにしてみれば、「土台」すら崩れつつある状態といっていいでしょう。彼が目指した理想は、今や残されたバマー・ムスリムたちにとって、遥か彼方のものとなってしまったようです。それは同時に、ビルマという国家自体がその基本理念からかけ離れた形となりつつあることをあらわしています。「民族・宗教の違いを超えた連邦国家」。ビルマに古くから住むバマー・ムスリムに対してビルマ民族としての地位を保障していくことは、まさしくこの国の基本理念に合致すること。この点で後退の一途をあらわしているバマー・ムスリムの現状は、ムスリムにとってのみの事態ではなく、ビルマという国家自体にとっての重大な問題なのです。