そんな彼らにレコーディングの話しを持ちかけたのが、マンダレーの大手音楽テープ店「ズィンヨー」でした。

依頼があれば、アルバム制作費は会社負担。もう自費制作の必要はありません。既に精米所経営という安定した生活基盤もあり、ここでキンマウントーは歌手活動の再開を決意。84年、バンド名を「ミッスィマライン」に改め、復帰第一作として「マハーサンドゥー(素敵な貴女)」を発表しました。その結果は、見事なまでの大ヒット。ビルマ・ポップス史上の名作となりました。

その中の「ダンダーイー(伝説)」という曲に至っては、これをモチーフとした同名の映画が後年(1991年)製作され、日本でも1994年に『パガン・愛の伝説』というタイトルで上映されたほどです。こうしてスターの仲間入りを果たしたキンマウントー。実のところ、当初は精米所経営の合間にアルバムを出すだけ、というつもりだったそうです。しかしこの大ヒット以後、彼の人気はますます高まる一方。そこでいよいよ「本業」として音楽活動を本格的に開始。現在にまで至るトップスターの地位を確立していったのでした。

大ヒット作の「マハーサンドゥー」(1984年)

旧知の友人3人と共にオリジナル曲を作る上で彼がモットーとしていることは、洋楽と伝統音楽のどちらにも偏らないということ。それは、敬虔な仏教徒としての精神を歌に盛り込むことを音楽活動において重視している姿勢の反映でもあります。ポップスというジャンルの歌手として、スタイルの上では洋楽を基調としつつ、その中に仏教的あるいはビルマ的な要素を盛り込む。欧米ポップスの単なるコピーにとどまらないそんな音作りが、ビルマ人の心に安らぎを与え、幅広い支持につながっているのです。

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歌謡界の女王メースウィがビルマを去り、代わって女性歌手の頂点に立っているのが、目下大人気のトゥンエインドゥラーボー。いかにもビルマ美人といった感じの肉付きのよい容姿ですが、それ以上に歌そのものが魅力だとか。ところが実際に聴いてみると、歌唱力も音楽性も至極平凡で際立つものがありません。そのあたりの疑問を解くべくビルマ人に尋ねてみたところ、大半の答えが「彼女のビルマ語の発音が魅力的」といった内容でした。

文化に関わる部分については、外国人には解しにくい点があります。そういう意味では、人々の心を癒すキンマウントーの歌についても、同様のことが言えるかもしれません。ビルマ人にとって、仏教的かつビルマ的要素が盛り込まれた彼の歌には、単に素朴で牧歌的ということばだけではあらわしきれないほどの大きな魅力があるのです。