上記の通り、民営長距離バスの運賃は、「会社」あるいは「組合」が固定料金として設定します。したがって、個人経営のバスがこれ以外の運賃を独自に設定することはできません。こうした規定の中で、正規の外国人料金を設定している会社あるいは組合は、現存するとしてもごくわずかで、特に組合、すなわち個人バスの場合は皆無と言っていいでしょう。

   バスの運賃は、交渉によらない固定料金制であるため、外国人料金を設定する際には当局の許可が必要です。そして許可を得た者は、それに伴う収益に対する納税の義務を負います。つまり、規定に則らない外国人料金は違法なのです。したがって外国人旅行者が長距離バスを利用する際、ビルマ人よりも高い運賃を請求されたならば、それが当局からの許可と適切な納税に基づく合法的な運賃か否か、という点について相手側に確認する必要があります。

   ただ、ビルマに限ったことではありませんが、この国では、人々の生活や人間関係の維持などといった面で、規定だけではカバーしきれない場面が少なからずあります。ゆえにすべてが必ずしも規定通りに行われているわけではないと言っていいでしょう。つまり、それによって不利益を被ることもあれば、またその逆もあるということ。例えば、違法な外国人料金の請求とは反対に、親しくなったビルマ人のはからいによって規定の外国人料金を払わないで済んだ、ということもあり得ます。したがってそのような中で、どう正論を通すか、という判断は容易でないでしょう。そして同時にそれは、何をもって「正論」となすか、という難しさでもあります。ここで外国人旅行者にとって注意すべきは、自分にとっての正論がビルマではどうなのか、という点です。基本的に外国人旅行者というのは、その国の実状をよく知らないお客さんなのです。その中で自己の価値観を保ち続けることは大切ですが、例えば、飲食代あるいは運賃等の料金といった日常茶飯事的な金銭の支払いには、一定のルールが伴います。したがってそのあたりについては、法的な規定や慣例といったものをある程度知り、それをふまえて行動した方が良いでしょう。そうでなければ、不当にボラれてしまうだけではなく、その逆もあり得るのです。「外国人旅行者のお客さんの中には、強引な要求や主張をする人がいる」といったビルマ人の本音を耳にすることがあります。正論、すなわち道理に基づく主張というのは、単に価値観を押し付けることではないはずです。その場の道理をある程度ふまえたものでなければ、結局その“正論”は、現地のビルマ人に迷惑をかけるだけのわがまま、あるいは傲慢さのあらわれに過ぎない、ということになってしまいます。

   ビルマ人は、外国人旅行者を、あたかも我が家を訪れた客人の如くもてなします。もちろんすべてのビルマ人がそうとは限りませんが、それは一種のビルマ人文化と言っていいでしょう。したがって、そのような客人として迎えられた外国人旅行者にとっての良き旅というのは、自分だけが満足して楽しめばそれでよし、というものではないはずです。そこでは、もてなしてくれた人へのしかるべき姿勢が求められるのではないでしょうか。自己の価値観と現地のルールとのバランスを考える。決して簡単なことではありませんが、心にとめるべき事柄のひとつと言えそうです。

   以上のバス事情については、地方によっても差異があるので、内容については、ごく大雑把な流れとして理解して頂ければ幸いです。