※1チャット=実勢レート約0.8円(公定は約19円)
バズンタミンヂョー(エビ炒飯)=110チャット
チェタータミンヂョー(鶏チャーハン)=65チャット
白飯=20チャット
瓶ペプシ=25チャット
バズンドウッヒン(大エビのカレー風煮込み)=500チャット
チェターヒン(鶏のカレー風煮込み)=110チャット
タミンドウッ(ご飯の和えもの)=25チャット
サムサドウッ(サムサの和えもの)=30チャット
モヒンガー=15チャット
ラペッイェー(紅茶)=10チャット
音楽テープ=150~200チャット
ウェッタードウットー=3~5チャット
タクシー(空港からダウンタウン=400チャット

1996年は軍事政権が、「VISIT MYANMAR YEAR 1996」と銘打って、イメージ改善と外貨獲得を期待して打ち出した観光年でした。この時期、観光需要を見込んで多くのホテルが建設され、セントラル、トレイダーズ(現シャングリラ)、ユーザナガーデン、セドナなどが1996年、パノラマパークロイヤル、ユーザナなどが1997年に創業を開始。市内のあちこちでいろいろなビルの建設が始まりました。

裏に観光年のイメージキャラクター「ポーアヨウッ」が印刷された幻の(?)テレホンカード。

1996年11月18日開催された観光年でしたが、翌年アメリカが経済制裁を発動。それに伴ってペプシやバドワイザーなど外国企業が撤退。観光年による経済効果は期待はずれに終わり、ホテルは供給過剰。宿泊料金は下落。とりわけ中級ホテルは相場が1泊20ドル程度という状況でした。そして建設中のビルの中には工事が中断し、その後何年も野ざらし状態のものもありました。

3月 (မတ်လ)

バンコクーヤンゴン便(UB)6435バーツ。

ヤンゴン (ရန်ကုန်)

日本料理が珍しかったこの時期に開店した日本料理店「J DREAM」にて。エビやイカなどのてんぷらがメインで、料理の種類はまだ少なかったが、当時としては先駆的。エビのてんぷら600チャット、魚てんぷら400チャットといったところ。コーヒーは150チャット。ちなみに街角の喫茶店ではラペッイェー(紅茶)が10チャットという時代。

8月 (သြဂုတ်လ)

ヤンゴン (ရန်ကုန်)

完成間近のトレイダースホテル(現シャングリラホテル)。

建設中のトレイダースホテルの横には中級ホテルのセントラルホテル。かつてこのあたりは映画が立ち並んでいた。

マハーバンドゥーラ通りとパンソーダン通りの交差点付近にあるヒンズー寺院のマハーペインネー。祀られているヒンズーの神々の中にはブッダも。さらに、当時存命中のインドの宗教指導者サイババも。世界的に名を馳せていたサイババは、1990年代、日本でも、メディアなどに取り上げられて最も有名なインド人と言えるほど。ミャンマーのインド人社会でも、その存在絶大だったようた。

ヒンズー寺院のマハーペインネーの向かい側にある労働省運営の格安食堂。鳥、牛、豚、魚、マトン、卵などのヒン(カレー風煮込み)が、何とわずか20~50チャット。労働者が利用しやすい価格設定となっている。ちなみに店の利用は労働者に限定されているわけでなく、誰でも可能。

バガン~パコウックー (ပုဂံ - ပခုက္ကူ)

バガンから対岸の町パコウックー(パコック)へは、橋がまだなかった当時、船で行くしかなかった。時間はかかったが、船上から見られる風景が素晴らしかった。

バガンからパコウックー行きの船に乗って、のどかな旅を楽しむ。船は、エーヤワディー川の船着き場から6:00~14:00くらいまでの間に数本が出る程度。料金は30チャット。所要時間は2時間半~3時間ほど。

パコウックー (ပခုက္ကူ)

当時、外国人の宿泊が可能な宿は6件あり、町の中心部を通るミョーマ通りには1泊200チャット程のゲストハウスが3件ほどありました。

「THU HTET SAN GUEST HOUSE」はミョーマ通りにあったゲストハウスのひとつトイレと水浴びは共同、エアコンなしで1泊1人につき200チャット。ミャンマーの宿泊施設は料金設定がたいてい一部屋ごとだが、ここでは宿泊客1人当たりだった。

現地で評判のミャンマー料理店「ホピン」。竹で作られた広い店内がとても心地よい。

鶏、魚、豚などのヒン(カレー風煮込み)が1品110チャットくらい。肉を使わないアヤンヒン(サービスのサイドディッシュ)の優しい味が実に美味しく、ご飯からデザートの甘いパイナップルに至るまで、どんどんお替わりを持ってきてくれた。客が少ない時間帯ならば、従業員が団扇であおいでくれるサービスまである。

ミャンマーはちょっとしたタバコ大国と言っていいかもしれない。女性たちの手作業で生産されている「セーボーレイッ(軽いタバコ)」といわれる伝統的なタバコは、この国で定番の土産物のひとつともなっている。一見葉巻に見えるが、そうではない。タバコの葉を巻いたものではなく、紙巻きタバコと同様、刻んだタバコの葉を包んだもの。巻いている葉は、タバコではなくタナペッという葉。ちなみにタバコの葉を巻いた葉巻もあり、「重いタバコ」という意味で「セービンレイッ」という。

ここでは二人で1日1000本くらい作り、100本を80チャットで市場に卸すそうだ。

パコウックー~メイッティーラ (ပခုက္ကူ - မိတ္ထီလာ)

ローカルバスでパコウックーからメイッティーラへの移動中、道の先は橋のない川。。。

1時間ほど待ったところでフェリーが到着。のどかな旅は続く。

メイッティーラ (မိတ္ထီလာ)

交通の要衝メイッティーラに到着。下校する小学生たちに遭遇。

バス停ならぬ馬車停(ミンレーゲイッ)。メイッティーラでは馬車がまさに庶民の足。町中で大活躍。

幼稚園に相当する0年生の送迎でも。。。

この年、メイッティーラにテレビゲームが初登場。料金は1時間で40チャット。

メイッティーラ市内で最もにぎやかなスポットは映画館前。Grand Cinemaという映画館の前で大繁盛の喫茶店「ティーラエイ」。この店の名物サムサドウッ(サモサの和えもの)が大人気。

サムサドウッ自体はミャンマーではごく一般的な軽食だが、この店は旨いと大評判。味の決め手となっているペーイェーひよこ豆のペースト)のまろやかな美味しさとサムサのパリパリとした食感が絶妙。

メーミョー(ピンウールイン) (မေမြို့ [ပြင်ဦးလွင်မြို့])

交通の要衝メイッティーラからは、北はマンダレー、南はヤンゴン、西はバガン、東はタンウヂーへと至ります。ということで、マンダレーからさらに先にあるメーミョーへ行きました。植民地時代にイギリス人の避暑地とされたメーミョー。この名称は植民地時代のもので、現在はピンウールインと言われていますが、いまだに旧称が多くの人たちに慣れ親しまれているようでした。

メーミョーでしか見られない四輪馬車。客室にドアや窓があるこのタイプの馬車を「ヤタローン」という。

たまたま立ち寄った「マヌエ」という店。飲食店を意味するビルマ語にはいろいろな表現があり、食事と飲み物を提供する料理店ならそのままの意味で「飲食店(サー・タウッ・サイン)」。惣菜屋のような小さな店で飲み物を扱っていない場合は「飯屋(タミン・ザイン)」。このマヌエは、まさに飯屋。仲の良いご夫婦を中心とする家族経営で、とても感じの良い方々だったので住所交換をして、帰国後やや間をおいて写真を数枚送った

しばらくしてこの店のことも忘れかけた頃、その奥さんから手紙が届いた。そこには、すぐに返事を書けなかったことのお詫びに続けてその理由が。彼女は日本から送られてきた手紙に思わず涙してしまったそうだ。夫の写真が同封されていたからだ。

ご主人は、実はこの写真の後しばらく経って、病気で亡くなったとのこと。悲しみに暮れている中で日本から送られてきた手紙。その中には亡き夫とふたりで写っている写真が。生前夫婦ふたりで撮った写真は1枚もなく、ゆえに夫と過ごした何気ない日常が目の前にあらわれて、思いがけない夫との再会に、もう涙が止まらなかったそうだ。

近年、ミャンマーではスマホが普及。写真などはすっかり手軽に取れるようになった今と当時は大違い。たまたま出会った旅先の縁で撮った写真。「何物にも代えがたい宝ものになりました」とまで手紙の中で言ってくださった店のおかみさん。便利さのない時代ゆえの思い入れ。忘れられぬ旅となった。

飯屋「マヌエ」の丁寧に作られたさまざまなおかず。

12月 (ဒီဇင်ဘာ)

バンコクーヤンゴン便(UB)午前便5200バーツ、午後便5600バーツ。

ヤンゴン (ရန်ကုန်)

完成して操業を開始したトレイダーズホテル。

各種銘柄のタバコ価格。ミャンマーの国産タバコは10種類以上あり、大体が20チャット台。その中で代表的銘柄のDUYAは少し高く30チャット以上。写真の解像度はそこそこ高いので、詳細は拡大してご覧を。

今とさほど変わらぬ風景だが、ここも、後日比較できる写真をアップする予定。

国民的大スター歌手サインティーサインの自宅を訪問して再会。温かく迎えてくださった。

ダウンタウンの小さな店は、特に変化が著しいのですが、現在(2019年)も当時とさほど変わらぬ佇まいの店も。。。

メイッティーラ (မိတ္ထီလာ)

メイッティーラを中心に活動しているサインワイン楽団。手前ですわってリズムをとっているのが団長のターボーティン。

メイッティーラでリリースされたターボーティン楽団のアルバム。このような、ヤンゴンには流通していないアルバムが地方にはある。

ターボーティンの妻ザーニーテッも楽団のサインワイン奏者。近年、女性のサインワイン奏者が注目されて、マンダレーのスラッナインなどが人気だが、この当時、女性の奏者はとても珍しく、貴重な存在。

メイッティーラは、アジア太平洋戦争における激戦地のひとつ。旧日本軍がイギリス軍と戦った「メイクテーラ攻防戦」として知られている。戦後、平和を願って日本の協力で建立された「ナガヨンパゴダ」の横に店を構えていた喫茶店「ミャニンズィー」。竹で作られた風通しの良い広々とした店内は、アニャー(上ビルマ地方)によくある店構え。メイッティーラ湖にもほど近い静かな雰囲気の中で、アトウッ(和えもの)をつまみながらラペッイェー(ビルマ紅茶)をすする幸せなひと時。

一方にぎやかな繁華街で1993年に開店した人気の喫茶店「アーノー」。アーノーとは、当時人気絶頂のアクション俳優アーノルド・シュワルツェネッガーのこと。ミャンマーでも映画ターミネーター2は大人気。それにあやかった店名。ちなみに、喫茶店をビルマ語で「ラペッイェー・ザイン」という。しかし、店の看板にそのような表示は意外と見かけない。たいていの場合が「カペー(cafe)」で、そうでなければ、たとえば上記の喫茶店ミャニンズィーのように「TEA GARDEN」といった感じ。もっとも、日本でも「喫茶店」という表示はほとんどないから、それと同じことか。

ちなみに、このアーノー、ミャニンズィー、どちらの人気店も、現在(2019年)は既に閉店して久しい。この国に喫茶店は実にたくさんあるが、安定した経営は容易ではない。