(2024年5月13日改定)
ミャンマー料理におけるメインディッシュは「煮込み」です。この種の料理はビルマ語で次のように表現されます。

・ヒン(ဟင်း/hin)
・チェッ(ချက်/chet/gyet)

「ヒン」というのはもともと「おかず」という意味で、煮込み料理をあらわしています。つまり「煮込み」が、ミャンマー料理におけるおかずの代表格ということです。このヒンは、日本で「ミャンマー・カレー」と表現され、それが最もわかりやすい言い方となっています。ただ、ヒンは、カレーのイメージに近いものから、スープ状のものや日本で言う「カレー味」とは程遠い全く辛さのない素朴な煮物まで様々です。よって「カレー」という表現は、「ヒン」の理解のために、ある程度便宜的表現でもあることを踏まえておく必要があります。

「チェッ(ヂェッ)」というのは「煮る」とか「調理する」といった意味です。調理に直接かかわる用語で、火を通して調理されたものは「チェッ」ということなりますから、「ヒン」はもとより、炒め煮など他の料理にもこの言葉は使われます。

「ヒン」と「チェッ」という2つの用語の具体的な使い分けについては後述しますが、大雑把な理解としては、「ヒン」は煮込み料理の総称、「チェッ」はヒンをさらに細かく分類した際に使用される表現ということです。

カレーのイメージ通りのアメーダーヒン(牛肉の煮込み)。肉が牛肉の場合、マサラなどの香辛料が利いている場合が多いが、エスニック料理のカレーにイメージされる辛さはあまり強くない場合が多い。
もはやカレーというより、豚の角煮といった感じのウェッター・アチョーヂェッ(豚肉の甘煮)。やや油っこいが、スパイシーな辛さは全くなく、味そのものも日本の角煮に近い感じ。

さて、この煮込み料理のベースとなっているのは、タマネギ(トマトが加わる場合もある)です。味や香りは塩、魚醤、ターメリック、ニンニク、トウガラシ、生姜、味の素などで調えます。具は豚、鶏、牛、ヤギなどの肉や内臓、そして魚、エビ、卵、野菜類など。上記の調味料は、塩、ニンニク、生姜あたりを除くと、メインの具によって異なります。スパイス類についてはほとんど入れない場合も珍しくありません。そして伝統的な製法にこだわって、味の素はもちろんのこと魚醤すら入れない場合もあります。

塩、ニンニク、ショウガなどで具に下味をつける。

そのようなヒンは、煮込み方で以下の2種類に大別することができます。

・スィービャン(ဆီပြန်/sii byan)
スィーレーイェーレー(ဆီလည်ရေလည်/sii le yay le)

スィービャンは、水分があらかた蒸発するほど煮込み、煮汁がとろりとした濃厚な状態になったヒンです。スィーレーイェーレーは、煮汁がスープの状態のヒン。カレーに例えれば、前者はいわゆる普通のカレーで、後者はスープカレーといった感じです。スィーレーイェーレーにも人気の料理はあるものの、一般的なヒンといえばスィービャンなので、こちらで話を進めます。

油で覆われた煮汁が濃厚な「スィービャン」。これは豚肉の油戻り煮の「ウェッター・スィービャン」。
煮汁がスープ状の「スィーレーイェーレー」。これは魚の煮物「ガーヒン」。ガーヒンにはいろいろな種類があり、これはモリンガと雷魚の「ダンダロウンディー・ネ・ガヤン・ヂェッ」。

煮込みには、水と共に食用油を使う場合があります。食用油は煮込みのあいだ、材料の風味や、肉類ならばその脂肪分を取り込んでいきます。ミャンマー料理では、こうした「おいしさ」の詰まった油もおかずです。ですからヒンにおける油というのは、塩などと並ぶ「調味料」の一つとして捉えることもできます。ただし、使用される油がパーム油である場合は健康に良くないと指摘されていますから、これはごま油やピーナッツ油などが前提と言えます。その上で、油はヒンのおいしさを特徴づける重要な要素ということになります。なお、家庭で作る際は、このような油の追加投入はあまりありません。そんなに入れなくても油は染み出てきますから、煮込みの段階で油を入れるのは、そこにこだわる料理店が提供するサービスないし特色と言えるかもしれません。

なお、スィービャンの意味は「油が戻る」です。ヒンは、調理過程の最初の段階で玉ねぎを大量の油で炒めます。さらに煮込みの段階でも、上述の通り油を入れる場合があります。水気のある間は、鍋の中での油の存在感はさほどでもありませんが、コトコトと煮込んで水分がなくなってくると、油がじわっと戻ってきます。そして、とろりとした煮汁の表面を覆うのです。この状態を「スィービャン」といい、そうしたヒンを「スィービャンヒン」といいます。日本におけるビルマ語の第一人者のひとりである土橋泰子先生はこれを「油戻り煮」と訳されました。

煮込みの過程で食材の旨味をしっかり吸い込んだ油に覆われた煮汁は「ヒンアニッ(ဟင်းအနှစ်)」といい、ご飯によく混ぜ込んで食べると、手(スプーン)がどんどん進んで止まりません。具を少しづつ削りながら食べると、大皿2杯は軽く食べられるでしょう。

大エビを使った「バズンヒン」。エビのエキスをたっぷり吸い込んだ油と煮汁は、まさに旨味の塊。これをご飯に練り込んで食べるのがミャンマー料理の醍醐味。

ヒンには、このようなスィービャンとスープ状のスィーレーイェーレーがありますが、いずれにおいても、異なる食材や味付けでさらに料理名を区別する際には、「チェッ」という用語がよく使われます。このあたりについて、肉を具とするヒンを例に説明します。

具が肉類のヒンを「アターヒン (အသားဟင်း 肉の煮込み)」といいます。ミャンマーの格言で「アター・マー・ウェッ(အသားမှာဝက် 肉なら豚)」と言われているように、とりわけ豚肉(ウェッター ဝက်သား)がその代表格と言えます。よって豚肉の煮込み料理「ウェッターヒン(ဝက်သားဟင်း)」には、味付けなどによって、他の肉料理では見られない程の様々なバリエーションがあります。以下はその代表的な一例で、これらはお店で食べられる類の料理です。

①ウェッター・スィービャン ဝက်သားဆီပြန်(豚の油戻り煮)
②ウェッター・アチョーヂェッ ဝက်သားအချိုချက်(豚の甘煮)
③ウェッタニーヂェッ ဝက်သားနီချက်(豚の赤煮)

④ウェッター・ポウンイェーヂー(ヂェッ) ဝက်သားပုန်းရည်ကြီး[ချက်](豚の味噌煮)
⑤ウェッター・タイェッティータナッ(チェッ) ဝက်သားသရက်သီးသနပ်[ချက်](豚の漬けマンゴー煮)
⑥ウェッター・ミィッチン ဝက်သားမျှစ်ချဉ်(豚の漬け筍煮)

①~⑤はすべて濃厚なスィービャン。⑥はスープ状のスィーレーイェーレー。

①は最もスタンダードな豚肉のスィービャンヒンです。基本的にスパイスの辛さはほとんどなく、色付けでターメリックやパプリカを使うことがある程度。味付けは、伝統製法の場合は塩のみと言われていますが、そこに魚醤を加えるのが一般的です。単にウェッターヒンと注文した場合は、たいていこれが該当します。

②~⑤は、①とは異なる味付けをしたもので、料理名の最後にヒンではなく、チェッ(ヂェッ)をつけます。ただ、言い方が長くなるのでその部分は省略されることが多いです。

その中の②と③は甘辛煮で、中でも②はスパイシーなイメージのカレーとは程遠く、日本の肉じゃがに近い感じの旨味にあふれた甘い醤油味の煮物です。

②の「ウェッター・アチョージェッ」は、スパイシーな辛さは皆無で、肉じゃがや角煮のような甘煮でとにかく旨い。ご飯がすすむまさにおかず。

③は調理方法によって肉が赤っぽくなるのが特徴でやはり辛さはありません。ミャンマー料理の基本は家庭料理なので、同系統の料理でも作り方は様々で、これらの味付けにおける甘みも、チャーニョ(ကြာညို့)という甘い豆醤油を使ったり砂糖を使ったりで一様ではありません。また、作り手によって辛さを加えることもあり得ます。ミャンマー料理の基本は家庭料理なので、一般的とは言えないような辛い味付けも排除されることはありません。

ほんのり赤みがかった③の「ウェッタニージェッ」は、このようにもはやはカレーの体をなしていないほどヒンアニッ(煮汁)が少ない場合が珍しくない。そのあたりは作り手によってさまざまだが、いずれにせよ、たれは少なめで肉が中心の旨煮だ。

④は、ポウンイェーヂーという日本の赤味噌に似た調味料を使った料理で、まさに味噌煮込みといった感じ。これも基本的に辛さはなくカレーというよりはむしろどて煮に近い感じの料理です。

④のウェッター・ポウンイェーヂーは、日本のどて煮をさらに濃厚にした感じ。個人的に話なるが、名古屋出身の私の実家の牛すじのどて煮にとても似ている。牛すじからはかなりの油が染み出てくるので、今にして思えば、我が家の油っこいどて煮は、豚肉と牛肉の違いはあれど、まさにポウンイェーヂーヂェッだった。

⑤は①のスィービャンの具として漬けマンゴーを入れたもので、酸味がきいている点が特徴。スィービャンは日本の煮物との類似点がある一方、ニンニクの多用とかなり油っこい点が異なっており、その油っこさを中和させる漬けマンゴーの酸味がこの料理のおいしさとなっています。

⑤のウェッター・タイェッティータナッは、見た目はスタンダードなウェッター・スィービャンとあまり変わらないが、漬けマンゴーの酸味の利いていて、味はかなり異なる。酸味の利き具合は店によって結構異なる。

酸味という点で言えば、⑥はその代表格と言える一品。ミィッチンというのは「酸っぱい筍」という意味の発酵した筍。こちらは①~⑤とは異なるスィーレーイェーレーといわれるスープ状の煮物。酸味と共にスパイシーな辛さがある点も他のスィービャンとは違います。この酸っぱ辛さのことをビルマ語で「チンザッ(ချဉ်စပ်)」といい、多くのミャンマー人がこれを好みます。そうしたことから、ウェッター・ミィッチンは人気の料理のひとつとなっています。

⑥のウェッター・ミィッチンは、煮汁がスープ状の「スィーレーイェーレー」。ミィッチン(漬け筍)は酸味と臭みが強いがそれがくせになる旨味を醸し出している。唐辛子の辛みを加え、「チンザッ」と言われるミャンマー人好みの「酸っぱ辛い」味付けで仕上げられ、スィーレーイェーレーの中で最も人気のある料理となっている。

①~⑥まですべてウェッターヒンではありますが、上述のとおり、①が代表格ですから、店で単に「ウェッターヒン」と注文したら、それはたいてい①のウェッター・スィービャンを意味します。もし、いろいろな種類のウェッターヒンを扱っている店で注文する場合は、たとえば甘煮を食べたければ「アチョーヂェッ」と言えばいいのです。ただこのあたりについては、店や地方によって異なる場合があり、ウェッターヒン=アチョーヂェッということもあるので(※マンダレーにはその傾向あり)、その違いも興味深いところです。

豚肉のヒンを引き合いに出しましたが、そのほかの場合、具が下記の鶏、牛、ヤギなどの肉や内臓、そして魚、エビ、卵ならば、「具の名称+ヒン」で料理名となります。

鶏肉(チェッター ကြက်သား)
鶏モツ(チェッカリーザー ကြက်ကလီစာ)

牛肉(アメーダー အမဲသား)
牛モツ(アメーカリーザー အမဲကလီစာ)

ヤギ肉(セイッター ဆိတ်သား)
ヤギモツ(セイッカリーザー ဆိတ်ကလီစာ)

魚(ガー ငါး)
エビ(バズン ပုစွန်)
鶏卵(チェッウー ကြက်ဥ)
アヒルの卵(ベーウー ကြက်ဥ)
納豆(ペーボウッ ပဲပုတ်)
※カリーザー=内臓/モツ

したがって、例えば具が鶏肉の煮込みなら「チェッターヒン」、鶏モツなら「チェッカリーザーヒン」、魚の煮込みなら「ガーヒン」となり、それぞれの中でバリエーションがあれば、その名称は「~ヒン」ではなく、たいていの場合、末尾が「~チェッ」という言い方になります。

なお、肉類によっては、豚、牛、ヤギは脳みそ(オウンナウッ ဦးနှောက်)を、そしてヤギは睾丸(グエーズィ ဂွေးစိ)も具にします

鶏肉の煮物「チェッターヒン」は、通常、ウェッターヒンよりも若干香辛料が利いている感じの場合が多い。
ヤギ肉の煮物「セイッターヒン」。このようにジャガイモ(アールー)と共に煮込めば「セイッターアールーヒン」といい、この場合は「チェッ」は使わない。ジャガイモは、豚、牛、鶏などの煮物にもよく使われる。
アヒル卵の煮物「ベーウーヒン」。ミャンマーでは、料理ではアヒルの卵がよく使われ、ヒンにおいては、アヒルの方が一般的。ちなみに、油の赤色は、唐辛子ではなくパプリカによる色付け。ミャンマー料理は、日本人が激辛をイメージする赤色のものが少なくないが、たいていはパプリカによる色付けで、見た目のような辛さがないものが多い。
納豆を使った「ペーボウッヒン」。ミャンマーでは、少数民族シャン人の地域で納豆が日本以上に盛んに食されている。そして、主要民族ビルマ(ミャンマー)人も、ヒンの具として調理して食べる。日本で納豆は粘りが大切だが、ミャンマーではこれを水で取り去って調理する。
ヤギの脳みそ(オウンナウッ)をつかった「セイッオウンナウッヒン」。白子のような濃厚な食感だが食べやすい。

ミャンマー料理の基本は家庭料理です。したがって、味付けは家庭によって様々です。ヒンは、一般的にはカレーにイメージされるような辛さが希薄と言えます。それが基本であると言っていいでしょう。しかし、一番の基本は家庭料理です。よって作り手によっては、とても辛くする場合もありえます。

ミャンマー人は、辛い物好きが多いと言っていいでしょう。よって、辛いヒンを食べたければ、辛く作ればいいのです。基本は基本として、食べたいものを食べたいというのは極めて自然なことです。現地でヒンをいろいろ食べてみると、時に、一般的なものとは異なる味、激辛のヒンに出会うことがあるでしょう。その場合は、少数民族のヒンであるかもしれません。しかし、主要民族ビルマ(ミャンマー)のヒンであっても、それはありえます。そしてそれもミャンマー料理のヒンなのです。。

発酵させたゴマの搾りかすを調味料として使った「ナンバッチン」。具は、豚のモツ(ウェッカリーザー)。モツの臭みが酸味の利いた漬けゴマ搾りかすで中和されて絶妙な旨さとなっている。ヒンには、このようなユニークな味付けによる激旨料理がある。