ミャンマーのポピュラー音楽

本題はステレオ歌謡ですが、その前提となるミャンマーのポピュラー音楽全体について若干触れておきます。
(※馴染みのない用語が多々出てきますので、こちらで少し整理してあります。わかりにくい場合はこちらをご覧ください。)

■カーラボー歌謡~ポピュラー音楽の始まり

ミャンマーには、タチンヂー(大歌謡)あるいはマハーギータ(偉大な歌謡)と総称される王朝時代からの由緒正しい固有の伝統歌謡があります。その中には様々なジャンルがあり、隣国のタイの影響を受けたスタイルのものなどもあります。そして19世紀末頃の英国植民地時代から、欧米の音楽や楽器が入ってきて、新しい大衆歌謡が誕生します。これをカーラボー・テー(以下「カーラボー歌謡」)といい、ミャンマーのポピュラー音楽は、ここから始まったと考えて良いでしょう。

この国のポピュラー音楽を語る際、ジャンルを表す用語がいくつか登場しますが、その分類基準は、多くの場合、音楽スタイルが主たる要因とはなっていません。たとえばこのカーラボー歌謡は、「流行歌」という意味で、外国の影響を受けた新しい音楽、従来の格式高い伝統歌謡に対する新時代の大衆歌謡、といった広範囲の音楽をさします。よってその音楽スタイルについてはさまざまで、単に伝統歌謡の替え歌だったり、欧米の楽器や曲調を取り入れた曲だったり、あるいは外国の曲そのものにビルマ語の歌詞をつけたものだったりといった具合です。ですから伝統歌謡の替え歌などは、当時の人たちには目新しい流行歌だったでしょうが、100年以上たった現在ではミャンマー人でも、この種の音楽によほど精通した人でなければ伝統音楽との識別は容易でありません。

こうしたカーラボー歌謡は、ミャンマーのポピュラー音楽における大きなカテゴリーのひとつで、その対象は、19世紀末頃の英国植民地時代から1988年のビルマ式社会主義時代までのポピュラー音楽とされています。ただ、これに該当する具体的な曲となると、若干のあいまいさもあるようです。

■カーラボー歌謡における分類

そしてこのカーラボー歌謡は、さらに小さなカテゴリーに分類される場合があります。その基準は、音楽スタイルではなく主に「時期」で、1941年までをひとつの区切りとして、初期のカーラボー歌謡を「キッハウン・テー(古い時代の歌)」といいます。いわば戦前歌謡といったところでしょうか。音楽関係の書籍にこの時期までの歌を収録した歌集の類がいくつがあり、「キッハウン歌謡曲集」という形で出版されています。また後期のカーラボー歌謡に相当する「フナウンキッ・テー(後の時期の歌)」という言い方があり、これは戦後歌謡といったような分類と考えられます。その他に、1948年の独立後、国営ラジオ放送局「ミャンマー・アタン(BBS)」で放送されて世に広まった曲を「レディヨ・タチン(ラジオ歌謡)」といい、これもひとつの分類と言っていいでしょう。

キッハウン歌謡曲集(1996年)

当時はダッピャーといわれるSP盤レコードがレコード会社から発売されていましたが、これは誰もが手軽に買って聴ける代物ではありません。一般庶民はBBSから流れてくる歌を聴いて慣れ親しみ、そうした一連の曲がラジオ歌謡といわれるようになりました。ちなみにBBSでは、テープレコーダーが導入される以前の1940年代から50年代にかけての放送用レコーディングは、ダッピャーへ直接記録するという形で、失敗が許されない一発録りでした。

また、カーラボー歌謡とタチンヂーにまたがるようなジャンルに「ダヂャン・タチン」があり、人々の間でとても人気があります。これは、4月に催されるミャンマー最大の年中行事「ダヂャン(水かけ祭り)」の時に歌われる楽曲の総称です。ここでは、カーラボー歌謡かタチンヂーかといった分類はほとんど意識されず、単にダヂャン・タチンとして認識されています。

映画『ダヂャンの雨』(1985年) 有名なダヂャン・タチンを堪能できる名作。

他には、愛国的精神や政治的主張などを盛り込んで鼓舞する一種のポリティカルソングがあり、そのカテゴリーを表現する特定の名称はありませんが、ひとつのジャンルとして捉えることができます。現在、こうした曲としては、2020年11月のミャンマー総選挙でアウンサンスーチー氏が率いるNLDが勝利することを願って在日ミャンマー人音楽家のボートゥーレインが作った応援歌「ダウパナッ・シャウッタン」が大ヒットしています。

日本発のNLD応援歌「ダウッパナッ・シャウッタン(ハイヒールの足音)」が本国でも大ヒット

こうしてカーラボー歌謡を概観すると、その分類方法は、日本の歌謡曲とやや似ている面があります。我が国の古い歌謡曲は、明治歌謡、大正歌謡、昭和歌謡といった具合に分類できますが、今やその違いはあまり認識されておらず、一般的にはひとくくりに「懐メロ」として捉えられています。よってこれに当てはめると、カーラボー歌謡は、いわばミャンマーの懐メロと表現することができるでしょう。カーラボー歌謡における初期のキッハウン・テーや後期のフナウンキッ・テーといった分類も、実際それをきちんと区別できるミャンマー人となると、専門家や音楽関係者くらいで、一般の間では、正確な定義はほとんど定着していません。

日本の話が出たところで、昭和時代においては、昭和歌謡とは異なる、「和製ポップス」と言われる新しい歌謡曲が1960年ごろに登場します。そしてミャンマーでもこれと同様の動きがありました。

■新しい流行歌の登場

1963年、ミャンマーで初めてステレオ方式でのレコーディングが行われました。歌手は、カーラボー歌手の伝説的大スター、ウ・アンヂー。曲目はキッハウン・テー(初期のカーラボー)の名曲「シュエボー・タナカ」。この画期的なステレオレコーディングを行ったのは、ウ・アンヂーの弟ウ・バテイン。録音された曲自体は従来のカーラボー歌謡ですが、このステレオ録音が始まったのちに、ミャンマーでは電気楽器中心の新しい音楽が登場。英語のままで歌われていた洋楽ポップスがビルマ語の歌詞で歌われ、そして洋楽調のオリジナル曲も登場します。これらは、最新鋭の技術を備えた「ウ・バテイン・スタジオ」で1960年代末ごろから、ウ・アンヂーの甥や姪などの新世代の歌手たちによって数多くレコーディングされます。歌謡界における新時代の到来です。

こうした新しい音楽を「キッポー・テー(キッポー歌謡)」といい、言葉の意味としては「カーラボー・テー(カーラボー歌謡)」とまったく同じ。直訳すると「その時期に登場した歌」すなわち「流行歌」です。カーラボー歌謡自体はこの後もひとつのジャンルとしてポピュラー音楽の主要な一角を占めますが、次第に輝かしい過去の流行歌として伝統歌謡化し、時代に即した本当の意味での流行歌としては、キッポー歌謡にとって代わられていきます。

このキッポー歌謡は、ステレオ録音という新技術と共に登場した音楽です。そうした状況が相まって、これを「スティリヨ・テー(ステレオ歌謡)」ともいいます。これは、日本でいうならば和製ポップスに相当。つまりビルマ語で歌われるミャンマー・ポップスです。ただキッポー歌謡とステレオ歌謡という二つの名称の関係は、単に「別名」ではなく、両者には違いがあります。

■キッポー歌謡とステレオ歌謡の違い

キッポー歌謡と言った場合、洋楽調のポップスが該当しますが、ステレオ歌謡の場合、伝統歌謡で聴かれる「ミャンマー・タンズィン」といわれるミャンマー独特の曲調も含まれ、必ずしも洋楽調だけとは限らない幅の広さがあります。1960年代末頃に登場したビルマ語の洋楽調ポップスは、1970年代から80年代にかけて、興味深いことに、ミャンマー・タンズィン調を取り入れていきます。

キッポー歌謡と言った場合、その言葉の意味通り「その時期に登場した(新しいスタイルの)歌」をさすため、ミャンマー・タンズィン調のポップスは該当しません。しかし、ステレオ歌謡と言った場合、詳細は後述しますが、ラジオで放送されなかったビルマ語ポップス全てが該当します。また、ステレオ歌謡はひとつの音楽ジャンルをあらわす用語として確立していますが、キッポー歌謡は現代的な洋楽調という音楽スタイルを示す表現として使われる傾向があります。

2003年から行われているCity FM主催の音楽大賞では、部門が「伝統歌謡」と「ポップス」とに大別されて各賞が授与されており、ポップス部門は「ステレオ歌謡」と表現されています。この部門にミャンマー・タンズィン調の曲は含まれていないようなので、その意味では「キッポー歌謡」と表現した方が正確かもしれません。しかしそれを問題視する向きはなく、もはや一般的に両者の違いは意識されていないのでしょう。そしてこれは、既に「ステレオ歌謡」がこの種の音楽ジャンルとしての用語として確立していることの証左と言えるかもしれません。

むしろこの音楽授賞式で着目したい点は、かつての流行歌であるカーラボー歌謡がタチンヂーなどの「伝統歌謡」の部門に分類されているという点です。このように、かつては区別されていたタチンヂーとカーラボー歌謡が、今やここでは伝統歌謡としてひとくくりにされているのです。ミャンマーの古い歌謡曲を聴いて、それがカーラボー歌謡なのかタチンヂーなのか。よほどの音楽的な知識やこだわりがない限り、区別のつかない人は既に珍しくなく、やがて一般的には伝統歌謡というひとつのジャンルになっていくのかもしれません。

City FM 第16回音楽大賞(2017年)で「ウ・アンヂーのカラボー歌謡曲集」が「伝統音楽」部門のベストCD賞を受賞した。