➀ボージョーアウンサン通り (アウンサン市場の前)

ボージョーアウンサン市場の出口を左折する際、右手に見える黄土色の建物は警察の宿舎で、現在はSUPER ONEというスーパーマーケットになっています。そこからスーレーパヤー通りに向かってボージョーアウンサン通りを進みます。

②ストランドホテル旧館の部屋

創業120年を超える老舗高級ホテルのストランドホテル。1901年にオープンした後、何度か改装されていますが、1993年に全面改装され現在に至っています。ミャンマーにおける高級ホテルの代名詞ようなホテルですが、ネーウィン政権時代における維持管理が不十分だったようで、私が訪れた全面改装直前の時期は、おそらくストランドホテル史上、最低の状態だったのではないかと思われます。そんな1990年のストランドホテルの映像です。

③セントラルホテル建設前の空き地とトレーダーズホテル建設前の映画館(パパウィンとゴウン)

このビデオは、現在KFCのある場所から始まります。そこからスーレーパヤー通りに向かって進んで、ボースンペッ通りと31番通りを過ぎると空き地が見えます。ここは、ウタント事件で焼失したトーウィンシネマとユーザナシネマの跡地です。そして32番通りを過ぎるとスーレーパヤー通りとの交差点があります。ここを右折すると、パパウィンシネマとゴウンシネマが見えます。

④テインジー市場のDブロック(現在ガモンプウィンやミンガラーシネマなどがあるビル群)の建設現場

(※アノーヤター通りとシュエダゴンパヤー通りの交差点にある歩道橋から撮影)

シュエダゴンパヤー通りのミドルブロック(アノーヤター通りとマハーバンドゥラ通りの間)にあるテインジー市場のDブロックは、ヤンゴンの繁華街における再開発で高層ビル建設の着手が最も早かったところのひとつ。1990年はまさにその工事中で、この一角の激変ぶりはすさまじいのですが、残念ながら、工事現場を昼間撮影した映像がありません。

⑤シュエダゴンパゴダ~南門の参道

1990年当時の参道は、現在のような派手さはありませんが、静かで素朴な様子に味わいがあってとても印象的でした。(ビデオのテロップは北門ですが正しくは南門です。)

⑥新ボージョーアウンサン市場から警察宿舎(現SUPER ONE)まで

現在(2020年)ジャンクションシティの1階には新ボージョーアウンサン市場がありますが、これは、正確には「新」新ボージョーアウンサン市場で、この映像に映っているのは開発前の「旧」新ボージョーアウンサン市場。その東側にあるのは、①の映像にも映っている警察宿舎です。

⑦ヤンゴン日本人墓地

日本人墓地は、サンヂャウンとタームエの2か所にありましたが、1998年に北オッカラーパのイェーウェーに移転しました。この映像は、移転前のタームエの日本人墓地。

⑧テインジー市場ブロックD(シュエダゴンパヤー通りのミドルブロック)再開発の工事現場

テインジー市場は、ブロックがA~Eまで5カ所あるヤンゴン市内最大の市場で、東西の通るマハーバンドゥラ通り沿いと南北に通る24番通り~コンゼーダン通りまでの間あたりに位置しています。元々は、イギリス植民地時代にスラート出身のインド人によって築かれた「スラティ・バザール」で、独立後にテインヂー市場に改名されました。

軍政時代になって、ブロックDは、早い段階で再開発が始まり、ここはビル群が林立する一角となり、1990年代前半においてはかなり際立つ場所となります。

少年たちがふざけ合っているこの映像はブロックCの歩道で撮影。その背景は、開発工事が始まった頃のブロックD。この段階のシュエダゴンパヤー通りの道幅は狭く、平屋の建物が軒を連ねていて、開発後の様子とはあまりにかけ離れているので、ちょっと見ただけではどこの映像かわかりません。