CDなどの音楽ソフト、放送、ライブといった媒体を通じて聴かれる歌謡曲。ビルマのメディア事情は、概ね以下の通りです。

画面の字幕はCMソングの「歌詞」。人気CMが放送されると、歌詞を見ながら子供たちが一斉に歌いだすこともしばしば。まともな歌番組がない中では、CMも人々の楽しみのひとつ。時間帯によっては、20分ほど延々とCMが放映される。

まず放送は、テレビの場合、局がふたつだけあります。内訳は国営軍営。音楽番組と言えるものは、現在、いずれの局にもありません。音楽自体は毎日放送されていますが、10年以上前から変わらぬパターンのスタジオでの口パクの歌謡曲、あるいは歌手が直立不動で歌う政府のプロパガンダ・ソングといった程度。かつては(96年)公開収録の歌番組もあり視聴者には好評でしたが、制作担当のプロデューサーへ経費が全く出なかったことなどにより、結局長続きしませんでした。その結果、現在、人々がテレビで楽しんで聴くことができる音楽は、歌謡曲ではなく「CMソング」のみという状況です。

ラジオについては、FM局がふたつあります。国営とYCDC(ヤンゴン市発展委員会)管轄のシティFM。後者の方では、イージーリスニング的ではありますが、積極的に歌謡曲が流されています。ただし対象地域はヤンゴンのみ。一方、国営は全国放送ですが、こちらは基本的にテレビ局と大差ありません。これらのラジオ局に、今回の「J-ASEAN POPs」に際して「音楽番組」(アセアン各国のラジオ局で放送)の放送が依頼されましたが、その過程から、この国の放送事情を垣間見ることが出来ます。まず、お堅い番組ではなく、日本という外国を「楽しげ」に紹介する「音楽番組」ということに、局はかなり戸惑ったようです。というのも、内容もさることながらアナウンサーの口調に従来にない軽快さが求められたからです。さらに放送回数が単発ではなく10回というのも問題となりました。外国を紹介する番組としては、異例なほどの多さなのです。そうしたことから局長は、音楽番組であるにもかかわらず、日本側担当者に「音楽はない方が良い」という要望を提示。一瞬、嫌がらせのように思えますが、これはむしろ一種の善意。実は、このレベルの事柄は、現場に決定権がないため、上層部の仲介人である局長としては、できるだけ実現性が高い形でお伺いを立てようと考えたわけです。結局、日本の外務省が関係するイベントだけに、放送時間は短縮したものの、「音楽番組」としての放送は決定されました。

こうした当局の統制下にある現状では、ラジオ、テレビを問わず放送局が、歌謡曲の媒体としての機能を充分に果たすことは容易でないでしょう。

一方ライブは、一般的な屋内ホール、ライブハウス(「クラブ」と言われる)などの小規模ホール、寺祭りや村祭りなどにおける野外ステージなどで行われますが、いずれにしても概して歌手の公演は多くありません。特に「単独公演」は、ビルマ人の嗜好と政府の規制とが相まって、なかなか開催されません。

2003年8月16日、ストランドホテルで行われたアイロンクロスの公演。歌手はレーピュー、アゲー、ワインワイン、ゾーパインなどが出演する「歌謡ショー」形式。入場料は3000チャット。

ビルマ人は、自分たちの嗜好について、「食」において「いろいろなものを混ぜて一度に楽しむ」点をしばしばあげます。レーピューによれば、この傾向は娯楽としての音楽にも共通しているそうです。よってこの国のコンサートは、複数の歌手が次々登場する「歌謡ショー」形式が通常なのです。

そして根本の部分で、大ホールでの単独公演には当局が許可を出さない、という体制側の規制があります。たとえばレーピューが単独公演を申請する場合、会場がホテル内の小ホールやクラブといった規模ならば可能ですが、大ホールでの開催となると許可が出ません。彼が出演するコンサートは、時に観客たちがケンカを起こすほど盛り上がります。よって大会場での開催ともなれば、「熱狂的な人気」は許可を取り付ける上でのネックとなるわけです。

現政府は、人々が集まって盛り上がること自体に神経をとがらせています。そうした状況下で、村祭りや寺祭りも含め、総じて音楽ライブは、一定の制限下にあり、必ずしも「盛ん」とは言えないようです。

以上のことから、この国の放送やライブは歌謡曲の媒体としては脆弱と言わざるを得ません。それだけに、カセットテープやCDなどの音楽ソフトがビルマの歌謡曲における最大の媒体ということになります。