8月(3回目)

※1チャット=闇レート約1.5円(公定は22円)

ビザだけ取得して空路でぶらりと入国できなかったこの時期、陸路でタイ側からの入国を試みました。

パヤートウンズー(プラチェーディーサームオン)

バンコクのトンブリー地区から西に向かう列車に乗ってミャンマーとの国境を目指しました。

泰緬鉄道の一部が残るナムトック支線。

終点ナムトック駅を降りて、さらにバスで国境を目指す。(写真は、途中の町サンクラブリーのウッタマーヌソン橋)

国境の名称となっているパヤートウンズーは「仏塔」という意味。そのうちのひとつの横に国境検問所がある。

検問所では、1ドルあるいは25バーツ(約125円)を払えばミャンマーに入国できる。ただし域内での写真撮影は禁止。さらに1kmも行かないうちに進入禁止となってしまう。

ということで、ミャンマー国内の写真は撮れませんでした。入国許可されたわずか数百メートルの域内には、木材(チーク?)の加工場が何ヶ所かあり、そこでは家具などが作られていました。それ以外は民家がある程度。まもなく進入禁止の立て看板に阻まれ、1時間も経たないうちに検問所に戻ってきました。

メーサウッ(メーソート)

サンクラブリーからローカルバスで北上して国境検問所のあるメーソートへ。この町にはミャンマー政府軍とKNU(カレン民族同盟)の戦闘で負傷したカレン兵などを治療する医療施設がありました。

※メーサウッは、メーソートのビルマ式発音

国境検問所へ続く道現在高架になっているが、当時は未舗装。近辺の道沿いに多くの店が軒を連ねていたが、のんびりしていた。

国境を示すゲートの先にあるムーイ川がミャンマーとの国境。対岸の町ミャワディーへの渡し船が頻繁に往来。検問所で訊ねてみたところ、残念ながら外国人には門戸が開かれていなかった。

メータオ・クリニック。この時の2年ほど前からシンシア医師がメーソートで医療活動を開始。この頃の医療施設は木造。

訪問した時、シンシア医師は不在だったが、ここで師から医療技術を学んだ学生たちが、診療や治療に当たっていた。

当時、ヤンゴンから逃れてきた民主化運動の学生などが、シンシア医師の指導のもとで運営に携わり、カレン人兵士などの治療にあたっていた。

施設の外ではサトウキビやゴーヤなど様々な農作物を栽培。

お世話になったセインハン氏。炎天下で一日中いろいろ案内してくださり日焼けしたせいか、帰宅後はタナカ(一種の伝統化粧)でクールダウン。家の中では子どもや女性だけでなく成人男性も塗る。

番外編・・・ラオス国境、カンボジア国境

外国人旅行者にとって、タイから周辺諸国へ陸路で入国することが容易になってきたこの時期、ラオスはノンカーイとムクダハーン、カンボジアはアランヤプラテートとプラウィハーンからの入国が可能でした。

ラオス入国は、まだ渡し船だったが、すでに1本目の友好橋が建設中。

現在世界遺産となっているプレアヴィヒアへタイ側から入国。ちょうど数日前にタイとカンボジアの両軍の間で衝突があったということで、兵士が監視を行っていた。

12月(4回目)

タチレイッ(タチレク)~チャイントン

8月の入国が不十分だったので、再度タイから陸路での入国に挑戦。今度は北部のメーサーイから。ここでは入国だけでなく、ミャンマー側のタチレイッからさらに奥のチャイントンまで移動が可能という情報があり、その通り、東シャンの中心都市チャイントンまで行き、宿泊もできました。

タイ・ミャンマー国境となっているサーイ川。写真の右側がミャンマー。歩いて渡れる。

サーイ川のほとりにあるミャンマー側のゲストハウス。

タイ側のイミグレーションで事前に一時的な入国許可書を得て、国境検問所のあるメインゲートへ。

ミャンマー側の町タチレイッ外国人もチャイントン行きの乗合いトラックが利用可であること確認。

チャイントンまでの山道は相当な悪路。途中、故障した車と何台も出会い、その矢先、自分たちの乗合いトラックもパンク。しかも2回も。ようやく乗り切ったと思ったら、工事で通行止め。労働者は足かせをしている囚人。作業が終わるまで待ち、朝出発で、チャイントンに到着した時にはにとっぷり日が暮れていた。

チャイントンは、のどかで良い雰囲気の街。

高台から見た街並みがいい感じ。

パンデー(中国系ムスリム)のモスク。このあたりものどかな街並みだったが、14年後に再訪した時は、一変。(ここをクリック)

「ケーマラッ」という映画館。「チャイントン」という町の名称を地元のゴンシャン族の言葉ではこう言う。ちなみに上映中の映画は、ズィンワインとメータンヌ主演の大ヒット作「ダンナーイー(伝説)」。