■第2期(1990年代末~2008年頃)
リトルヤンゴンの全盛期~高田馬場
90年代後半あたりからは、高田馬場駅周辺で暮らすミャンマー人が多くなってきます。
それに伴いミャンマー関連の店も増え、95年に美容室「ザガワ」、97年にミャンマー料理店の「ナガニ」や「ミンガラバー」、99年にシャン料理店「ノングインレー」などが開店。この時期に輸入雑貨店は駅前の雑居ビル「タックイレブン」に集中するようになり、「ゴールデン・イーグル」などが大繁盛。やがて、中井の「シュエガンバウン」や新大久保の老舗「フジストアー」もこちらに移転し、リトルヤンゴンの地位は、中井から高田馬場に移行していきました。
こうした変化について、決定的な要因の特定はできませんが、そのひとつとして、住宅街の中井ではミャンマー人の存在が目立つ、という点を挙げることができます。
政治的な困難さが伴う祖国からさまざま理由で来日する人たちにとって、日本の法制度下における在留資格取得には高いハードルが存在します。よって繁華街ならば紛れて目立たない、という点はかなり重要です。そうした点を鑑みると、主な活動範囲のひとつである西武新宿線沿いならば、高田馬場が最適です。90年代も後半になると、ここの周辺にある物件の賃貸が容易になってきたという経済事情も相まって、この地域に「シュエタイッ」が増えてきました。シュエタイッというのは「黄金の建物」という意味で、在日ミャンマー人は、同胞が多く集まっているアパートやビルのことをこのように呼びます。輸入雑貨店がひしめく雑居ビルの「タックイレブン」、ミャンマー料理店「センチュリー」や料理店も兼ねたユニークな美容院「ピュー」があった新目白通りの「京や第2ビル」などは、よく知られたシュエタイッです。
このように急成長した在日ミャンマー人コミュニティですが、状況は2003年末ころから大きく変わってしまいます。
この年の10月17日に石原都政の下で入管・東京都・警視庁による「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」が発表されました。その主旨は「5年以内に超過滞在の外国人を半減させる」というもので、これに基づく大規模な摘発が始まり、高田馬場駅前での警官による職務質問や入管職員によるシュエタイッ(ミャンマー人住民の多いアパート)への家宅捜査が日常的に行われるようになりました。警官は容貌で判断して職質を行うので、日本人がその対象となることもあり、壁に両手をついた状態で身体検査される人もいました。
こうして大勢の人々が強制的あるいは自主的に帰国。ミャンマー人の減少によって高田馬場をはじめ、大塚、新大久保、歌舞伎町などの料理店や輸入雑貨店は、徐々に閉店を余儀なくされ、ミャンマー人コミュニティは活気を失っていきました。
とりわけ新大久保駅周辺は、いわば高田馬場に次ぐリトルヤンゴンぶりでしたが、今(2019年現在)では雑貨店が1軒残っているのみ。コリアンタウンとして知られる新大久保ですが、駅前付近にはパキスタン系のムスリム経営の雑貨店や料理店が多く、現存するのは、そうしたイスラムコミュニティの中で活動しているミャンマー系ムスリムの店のみです。
こうしてこの時期、ミャンマー人経営の店は大きく減少し、また超過滞在のミャンマー人は、帰国か政治運動への参加か、という選択を迫られ、伝統舞踊団やロックバンドも政治色抜きでの文化活動が不可能となり、コミュニティ内でのイベントは減少していきました。