「環太平洋映画祭 ’94 in 大宮」でメータンヌ来日
1994年11月19日(土)~23日(水)
1991年製作のミャンマー映画「ダンダーイー(邦題:パガン・愛の伝説)」上映に際して、主演の大女優メータンヌが来日しました。
当時、ミャンマーは大変な親日国でしたが、外国人が常に緊張を強いられたラングーン国際空港の出入国においては、日本人も例外ではありませんでした。何度も訪れる旅行者に対しては、空港で長時間の尋問が行われたこともありました。
ビルマ式社会主義時代の半鎖国政策を経て、当時の軍事政権は、旅行で訪れた外国人による情報の国外流出を嫌っており、空港においては、出国時に厳しい検査が行われました。音楽など音声、映画などの映像はその対象で、カセットテープやビデオテープの持ち出しは厳しく制限されていました。そんな厳しい政府の規制もあって、そもそもミャンマーの音楽や映画に対する関心が皆無に等しい日本で、この国のエンターテイメントは謎のベールに包まれていました。
そういう意味では、1994年における福岡映画祭の「川の流れのように」やこの環太平洋映画祭 ’94 in 大宮での「パガン・愛の伝説」などの上映は、とても貴重な機会と言えましょう。特に環太平洋映画祭 ’94 in 大宮における主演女優メータンヌの来日は、画期的とも言える出来事でした。
この映画は、ミャンマーの人気歌手キンマウントーのヒット曲「ダンダーイー」をモチーフにして制作された一種の歌謡映画で、劇中では登場人物の歌うシーンが所々に盛り込まれています。ミャンマーの映画では、歌のシーンで俳優自身が歌うことは通常なく、歌手が吹き変えます。メータンヌの場合、吹き替えはたいてい女性歌手ミミウィンペーで、この映画でも担当しています。
今回、ミャンマーの大女優が来日するとあって、NHK国際局のチーフディレクター(当時)でビルマ語放送を担当していた田辺寿夫氏がインタビュー。ビルマ語を自由自在に操る田辺氏は、在日ミャンマー人の間ではウ・シュエバーと呼ばれている、コミュニティー内で最も有名で信頼されている日本人。当時、ウ・シュエバーを知らないミャンマー人はもぐりだ、と言われたほどです。そんな田辺氏と、ミャンマー音楽をいち早くアジアポップスファンに紹介した音楽ライター(当時)の石谷氏とが共同でインタビューし、ミャンマーの大女優が日本のメディアに取り上げられました。
メータンヌの来日を最も喜んだのは在日ミャンマー人です。ミャンマー人コミュニティーの中心地リトルヤンゴン中井の名物ビルマ料理店「トップ」では歓迎会が開かれて、大いに盛り上がりました。その時の様子は、田辺氏の著書『ビルマ「発展」のなかの人々』(岩波新書)の中で取り上げられています。
このあと通算5回の来日を果たすことになるメータンヌにとっての初来日でした。
日 時 | 1994年11月19日(土)~23日(水) |
会 場 | 大宮ソニックシティ小ホール ※地図はこちら |
主 催 | 環太平洋映画祭’94 in 大宮実行委員会 |