■ビルマ語ブームのなかで

そんなJMCCでは、2011年のミャンマー民主化を境に、ミャンマー語教室の需要が高まった。それまでの「ミャンマーが好きだからミャンマー語を学びたい」というどちらかというと趣味の需要に対し、このころから、ミャンマーに赴任する前に学びたいというビジネス需要が急激に増えた。鉄道会社、ガス会社、電力会社など主にミャンマーのインフラを担うべく進出する企業の社員が学びに来た。また、経産省がソフト面での支援プロジェクトのために招聘したミャンマー人の経営者、閣僚、技術者への通訳なども増えた。こうしたビジネス需要によってJMCCの収入源は一時、増加。しかし、それは長続きしなかった。

8月はJMCCの夏期休業期間。その間、マヘーマーさんの帰郷を兼ねてのミャンマー出張では、毎年、現地の孤児院や僧院に寄付をして、ささやかながら継続的に支援活動を行っている。

ミャンマーに進出する企業が増えるにつれ、それまでビジネスベースに乗らなかったビルマ語に需要が生まれると、一般的な語学学校がこの分野に進出。その結果、ネット上での宣伝力がいかに重要かを思い知らされるようになる。それまでネット検索で常に上位に表示されていたJMCCのホームページは、SEO対策で攻勢をかける大手語学学校に押しやられていった。加えて世の中はスマホの新時代。その部分でも対応できていなかったことが追い打ちとなって、ネット検索においてどんどん下位へ。新規の受講生がぱったりと減ったのだ。収入の減少が止まらない。ビルマ語への関心の高まりは嬉しい。しかし、助成金や寄付金に頼らず運営しているJMCCにとって、予期せぬ辛い展開であった。

「大変」。

強気のマヘーマーさんの口から、時折そんなつぶやきが。落合さんの心の中で、ひとつの決意が大きくなっていった。

それは、高校教師の仕事を早期退職して、JMCCの専従になることだった。当時、底辺校から進学校に異動し、休みの日も部活動に従事するなど、休日は1ヶ月に1~2日は当たり前で、0日ということもあった。前の職場では、週末にJMCCを手伝うこともできたが、この当時は、まったく協力することができない状況になっていた。そうした中で進行していたJMCCの危機。教育現場では以前のような自由な空気が失われていき、葛藤や軋轢の中で考え抜いた結果、退職を決意した。

専従となってとにかく最初に着手したことは、JMCCのホームページの再構築だった。当時、検索窓に「ミャンマー語教室」と打ち込んでも、JMCCがまったく上がってこない状況になっていたが、10ヶ月程度かかったけれども、徐々に、検索結果が上位になるにつれて、新規の受講生が増えていったという。以降、2人で、所長と理事長を務めながら、JMCCを大切に育てている。

JMCCには日本人とともに多くのミャンマー人が出入りしているため、言葉を学ぶだけでなく、ミャンマーの文化や風習、料理なども含めて学ぶことができること、また、ミャンマー人との交流ができることも、JMCCミャンマー語教室の特徴だ。

2004年から毎年行っている日本人へのミャンマー文化紹介イベント。在日ミャンマー人にとっては、日本で誇らしい自国の文化を披露する大切な機会となっている。