ここでは、ミャンマー料理店を中心に、ミャンマー人が経営する料理店を取り上げます。
日本初のミャンマー料理店は、遡ると1970年代末頃に早稲田駅付近にあったのではないかという説がありますが、一般的には、本国での軍事政権成立後、在日ミャンマー人コミュニティー成立初期の1991年に新大久保で開業した料理店「ヤッタナー」が元祖とされています。ただ、当時を良く知る古参の在日ミャンマー人の間では、日本初のミャンマー料理店は秋葉原の「バガン」とされていて、在日ミャンマー人伝統舞踊団「ミンガラードー」結成の記念すべき話し合いが、1991年、ミャンマー料理店「バガン」で行われた、と関係者によって記録されています。
以後、90年代から00年代初頭にかけてのミャンマー人口増加に伴い、とりわけ新宿区や豊島区あたりにミャンマー料理店が増えていきました。ただ、日本におけるミャンマー料理店の認知度は、今なおかなり低いのですが、当時はほぼ「ゼロ」近い状態。これらの店の大部分は日本人向けの“エスニック”料理店ではなく、在日ミャンマー人向けで、店内に日本語表記がないことも珍しくなく、一般の日本人から注目されることはまったくと言っていいほどありませんでした。そのような本格的ミャンマー料理店が、都内を中心に人知れず増えていったことは、数少ないミャンマー好きの日本人にとって喜ばしいことでした。
しかし2003年から5年間に渡って行われた入管・東京都・警視庁の共同宣言による一斉検挙によって、一時期、ミャンマー人コミュニティーは活気を失い、ミャンマー料理店は次々と閉店を余儀なくされました(※詳細はこちらを参照)。そうした困難な状況も、2008年頃から好転し、現在(2019年)は、首都圏においては東京都内、川崎市、横浜市などに20店ほどあると思われます。コミュニティーには新たな変化の兆しがあるものの、ミャンマー料理店は増減を繰り返しながら、本当にわずかではありますが、都内では定着しつつあると言えるかもしれません。また都内とその周辺には、ミャンマー人がそれまでの経験を生かして経営している居酒屋や焼肉店などがあり、そうした店には何気にメニューの中にミャンマー料理が含まれていることがあります。こうした隠れミャンマー料理店の存在も見逃せません。