1950年、シャン州南部の町リンケー(シャン名ランコー)生まれのサイン・ティーサインは、少数民族のシャン民族。ゆえに、彼の歌にはシャン語の歌詞を含んだ作品もあります。また、どこか牧歌的な旋律という特徴も、シャン歌謡特有のものだそうです。

そんな彼の音楽は、同じシャン民族の盟友サイン・カムレイッを抜きにしては語れません。数々のヒット曲を生み出した盟友との出会いは、マンダレー大学在学中。自己のバンド「ワイルドワンズ」を結成したサイン・ティーサインは、互いに同じ民族ということもあって意気投合し、シャン語でファースト・アルバムをリリースしました。当初、このアルバムは余り注目されませんでしたが、これにビルマ語の歌詞を付けたコピー・アルバムが他のアーチストから無断で出されてしまいました。著作権保護の制度が整っていないビルマではありうる出来事。しかし、この「事件」が結果的に、彼らにチャンスをもたらしました。この後、本家である彼らは、このアルバムのビルマ語バージョンをリリース。このことで、彼らの名は知れ渡るようになりました。

こうして1970年代中ごろからプロ活動を始めたサイン・ティーサインは80年代にかけて、バンド「ワイルドワンズ」の中心的な一員として活躍。今やビルマ・ポップスのスタンダード・ナンバーとなっている名曲を次々と生み出していきます。この当時のアルバムでは、他のメンバーが何曲か歌っており、ワイルドワンズの作品という色合いも感じられます。そんな彼には、華々しい活躍の一方、麻薬がもとでの投獄生活という経験もあります。1983年にリリースされた『パレッファウン・ミンダー(プラットフォームの貴公子)は、出所後の生活苦を歌にした作品。人々の共感を呼び、大ヒットを飾ったこのアルバムは、彼の代表作のひとつとなりました。ビルマでは、政治的、道徳的理由などによって、表現活動にかなり厳しい制限が加えられています。そんな中で、盟友サイン・カムレイッによる優れた歌詞は、時に、人々の社会に対する思いの代弁でした。そこに込められたメッセージをラブソングというオブラートに包んで歌うサイン・ティーサイン。彼の歌声は、自らがどん底を体験しているだけに、よりよい生活を求めるごく普通の人々の心に響き渡ったのでした。こうして『ヤダナー(宝物)』など、数多くのヒット作を放った80年代は、最も油の乗っていた時期と言えるでしょう。インマー・レコーディングからリリースされたベスト盤の『インマー・イェ・サイン・ティーサイン』は、この時期のヒット曲集。音源にやや難のある曲も含まれていますが、サイン・ティーサインを知るには良い一枚です。

1988年における軍事政権の成立とその後の社会情勢は、彼の音楽活動に変化を与えました。音楽は、その社会において、伝統継承と純粋な娯楽といった面を持っています。1990年の総選挙以後、軍事政権が継続する中で、そのことが強く求められるようになりました。

「以前のようには歌えない。」

ひとつの流れとして、このように語るサイン・ティーサインは、政府批判の先鋒を担うような社会派ではありません。彼はすでに国民的大スター。強まる言論統制によって、以前のような「オブラート」に包んだ表現の歌詞も認められない中で、彼の変化は必然的でした。そのことを暗示するかのように、1992年頃から盟友サイン・カムレイッの作品がぐっと減りました。そして1994年、人気女性歌手ヘーマーネウィンとのカップリング・アルバムを2枚リリース。それは伝統的な歌曲集でした。ダマテー(仏教の讃美歌)のアルバム『ミィッタゴウン』など2作品は、若い世代への伝統継承という意味合いで要請されたものだそうです。

ビルマでは、表現活動に対して、政府の検閲があります。ポップスの世界でも、それによって、アルバムの完成からリリースまでに数年かかることもあります。もちろん検閲に通らなければオクラ入り。こうして音楽活動は、社会情勢に応じて変化することを余技なくされます。音楽を愛する国民的スター、サイン・ティーサイン。彼はビルマの人々から最も愛されている歌手のひとり。何よりも大切なのは、ビルマで歌い続けることだったのです。

社会情勢が変わっても、彼のコーバイン・タンズィン(オリジナル曲)を大切にする姿勢に変わりはありません。近年、特に既製曲のコピーが氾濫するビルマ・ポップス界。その中での存在は既に別格となっています。そしてサイン・カムレイッの作品も、新作が減ったとはいえ、やはり目を引きます。1995年、久々のアルバム『タムーシーロ・ダベーフルー(三銭あれば、一銭喜捨する)』では、曲調の変化が見られます。ビルマの音楽には、伝統的なスタイルとして、独特なメロディー・ラインがあります。これを「ミャンマー・タンズィン」といいます。従来、彼らが取り入れることのなかったこうしたスタイルの曲をこの作品では取り入れています。

現政権の開放政策は、ビルマに変化をもたらしました。それによって、得るものもあれば、失うものもある。経済開放に伴う「拝金主義」は、ビルマでも例外でありませんでした。

「三銭あれば、一銭喜捨する」

ミャンマー・タンズィン調で歌うサイン・ティーサイン。盟友サイン・カムレイッとのコラボレーションで見せた一種の伝統回帰。現代ビルマへのメッセージと言えるでしょう。

『プラットフォームの貴公子』
(パレッファウン・ミンダー)
[YINMAR 番号なし/1983年]
【SIDE A】
1.新たな日
2.プラットフォームの貴公子
3.愛のために生まれ変わる
4.誰かのキス
5.マラソンランナー
6.流れに逆えば楽、従えば苦
7.最高のパートナー
8.開いていても入れない入り口
【SIDE B】
1.王の従者
2.ヤンゴンへは急がずに
3.もうひとりのイブ
4.仲良くなりたいだけ
5.傷つけた
6.最後のひと
7.大丈夫
8.愛に溺れし者
※A-8の歌詞はビルマ語とシャン語の混合。A-6のボーカルはワイルドワンズのソーテインウィン。

『インマーのサイン・ティーサイン』
第1集・第2集
(インマー・イェ・サイン・ティーサイン)
[YINMAR 番号なし/1983年]
1982~86年にインマー・レコーディングからリリースされたアルバムの中から、選りすぐりのヒット曲が収録されている。

■サイン・ティーサインの名前について

ビルマは、ビルマ民族と100以上の少数民族から構成される多民族国家です。そこで、少数民族の人名や地名などの固有名詞については、その民族本来の発音とビルマ語式発音との間に違いが生じる場合があります。

サイン・ティーサインはシャン民族。したがって彼の名前はシャン式で、名前の最初にくる「サイン」はシャン民族の男性敬称です。ただし「サイン【sain】」という発音はビルマ語式。シャン語本来の発音では「サイ【sai】」です。標準ビルマ語には、「ai」という二重母音がないため、こうした発音の変化が起こります(ビルマ語では、外来語などに見られる「ai」音は、【ain】と発音されるため、例えば隣国タイ【thai】は、ビルマ語で「タイン【thain】」となる)。そこで、サイン・ティーサインを、シャン語本来の発音通りにカタカナ表記すると「サイ・ティーサイン」となります。なお、ローマ字表記については、やや統一性に欠けるものの、「SAI HTEE SAING」とされることが多いようです。