ウ・チョーディン?

サッカーの古豪ミャンマーにとって、ウ・チョーディンは過去の栄光を語る際、まさに格好の存在。ミャンマーサッカー史に名を残す偉人でしょう。そこで、まずは在日ビルマ人に、彼について訊ねてみました。

しかし帰ってきたのは、全く意外なことに「知らない」という答えばかり。サッカー通や博学な年配者に訊ねてもだめ。わずかでも知っていれば、内容が少々不正確であっても、必ず何かしら教えてくれるのがビルマ人です。ところがこのウ・チョーディンに関しては、知る人が皆無なのです。

ただ、考えてみると、これは今から80年以上も前の植民地時代の昔話。こういう大昔のことを知る古老のビルマ人は日本にいません。本国には、かつての栄光が保存されている博物館的な施設があり、その関係者ならば昔のことをよく知っているはずです。となれば、何はなくともとにかく現地を訪れて、そうした人から話を聞く。そして家族を紹介してもらい、会いに行けば、幻の偉人ウ・チョーディンの全貌が明らかになることでしょう。

そんな見通しを立てて、ミャンマーでの調査を開始すべく、その下準備として、事前に知り合いのビルマ人へ電話で協力を要請。元国営新聞記者という方を紹介してもらうこととなりました。

ミャンマーでは、ウ・チョーディンについて調査するどころか、逆にそれが取材されて記事に。 (SPORT TIMES 2013年1月6日刊より)

こうしてヤンゴンに到着。早速、協力者のベテラン記者にウ・チョーディンのことを訊ねてみました。ところが、やはり彼もまったく知らないとのこと。逆に、面白そうだから教えてくれ、と言われる始末。どうやらミャンマーでも、日本と同様、かなり「知る人ぞ知る」というレベルの話のようです。

なれば、サッカー関係の総元締めにあたるしかありません。ミャンマーサッカー協会を訪ね、協会関係者に趣旨を説明して訊ねてみました。しかしここでも、誰も彼のことを知らない。協会の記録を調べてもらいましたが、彼に関する記述自体、全くありませんでした。そもそも協会にはミャンマー独立後の記録しかなく、植民地時代のことはわからないのです。