※1チャット=実勢レート約0.8円(公定は約18円)
タイガービール(瓶)=115チャット
カニチャーハン(中華料理店ユーナンで)=100チャット
音楽テープ(TOYOTA)=105チャット
音楽テープ(HITACHI)=120チャット
音楽テープのジャケット=15チャット

8月(6回目)

バンコクーヤンゴンの往復チケットがミャンマー航空で6225バーツ(1バーツ=約4円)。少し安くなってきました。

ヤンゴン

軍事政権下のミャンマーでは、閉鎖的体制ゆえの不便さは確かにありましたが、それ以上に、他に代え難い貴重な体験が多々ありました。この国では芸能人と一般人との垣根がさほど高くないようで、街角や飲食店などで有名人を見かけることがしばしばあり、思いがけなく多くのスター歌手と会うことができました。中でも国民的大スター歌手のサインティーサインとの出会いは、その後の貴重な交流の出発点となりました。

また人気音楽プロデューサーのヤマ氏と知り合ったことは、さらにこの国の大衆歌謡の魅力に触れる大きな第一歩でした。元々漫画家として著名だったヤマ氏は、音楽業界でも大活躍。伝統音楽からポップスまで幅広く網羅。芸術性を伴いつつ娯楽としての音楽づくりを追及していた才人でした。

数々の名作を生み出した録音スタジオのMAY。

この当時、ステレオ歌謡(いわゆるポップス歌謡)の大半が外国の曲のビルマ語カバー。そうした中で、オリジナル曲中心の音楽活動を展開していた人気歌手キンマウントーとMAYスタジオにて。
※キンマウントーについてはこちらを参照

人気ナンバーワンの歌手は誰? その問いかけへの答えは、ほぼ100%「サインティーサイン」。まさに国民的人気歌手。そんな大スターであるにもかかわらず、信じられないほど気さくで親切。万人が愛するミャンマー歌謡界のトップシンガーとの出会いで、ますますビルメロに。(ビルメロ=ビルマにメロメロになること、及びそうなった人)出演する結婚式会場に、何と自家用車で連れて行ってくれた。
※サインティーサインについてはこちらを参照

知的な女性歌手ミミウィンペー。キンマウントーと同様に牧歌的なオリジナル曲が特徴の人気歌手。結婚式会場では、大勢の人気歌手が曲を披露。
※ミミウィンペーのMTVはこちら

会場に来ていた人気歌手アウンインと老舗の音楽専門店「ザベーウー」へ。室内の録音室にて。

多忙にもかかわらずお世話してくださった多才なプロデューサーのヤマ氏。

ヤマ氏が、漫画家としてさらさらっと描いてくれたミャンマー女性。目鼻立ちなどすべてが「丸い」という条件を備えた典型的なミャンマー美人画だ。しかし訊ねてみるとその画風は、何と日本の漫画家さいとうたかをの影響を受けているとのこと。あらためて確認してみたら、確かにゴルゴ13に登場する美女たちは、まさしくミャンマー美人そのものだった。

当時ヤマ氏が特に力を入れていた実力派人気女性歌手ニニウィンシュエ。

結婚式場には若手歌手ポーダーリテインタンも。ポップスから伝統歌謡までこなす、いわば実力派アイドル。
※MTVはこちら

当時、ナンバーワンのイケメン俳優ヤンアウン。ミャンマー映画界の伝説的男優で1980年に亡くなった故ウィンウーの後を継ぐ存在として、映画に歌に大活躍。音楽のアルバムはヤマ氏がプロデュースした。
※ヤマ氏がプロデュースしたヤンアウンのステージの様子はこちら

ミャンマーの音楽公演では、演奏するバンドは決して”バック”バンドと言えない。公演自体はバンド名を前面に出して開催され、歌手は何人も出演。そして有名な人気スターであっても2~3曲程度しか歌わない。これがスタンダードな形で、歌手が単独で公演を開催することはめったにない。(単独の場合、ワンマンショー、ワンレディショーといわれ、特別な公演とされる)

 8月13日に国立劇場で開催された「NEW WAVE + SHELLS」は、2つのバンドが交代して演奏するステレオ歌謡(ポップス歌謡)の公演。軍政当時、表現には様々な規制がかけられていて、歌手たちはほぼ振り付けなして歌唱。場内の撮影は厳禁だったが、そんなところも興味深い公演体験。入場料は300チャット。

(ヤンゴン今昔物語の候補地)半鎖国体制下のミャンマーに対して、戦時賠償に端を発する形で長きにわたって援助し続けていた日本は、当時この国にとって、特別な存在。その存在感は突出しており、他にこれほどの親日国はないだろう、と言えるほど。この当時市内を走るタクシーは、そんな日本の援助の一環で現地生産されたマツダ車。レーベインカー(四輪車)と呼ばれて市民に親しまれた。

メイッティーラ

交通の要衝メイッティーラを再訪しました。

当時は自転車の全盛期と言える時期。放課後、大勢の生徒が一斉に自転車で下校。

12月(7回目)

バンコクーヤンゴン往復のチケット代はさらに下がってミャンマー航空で5850バーツ(1バーツ=約4円)。

日本では、ミャンマー人コミュニティ内で1991年から伝統行事の「ダヂャン(水祭り)」が開催されるようになり、芸達者な人たちが集まって民族舞踊団やロックバンドが結成されるようになりました。

1992年に東京で結成された「ミンガラードー」はコミュニティで最初の民族舞踊団。活動には民族楽器の充実が必要。特に打楽器の「チャウッロウンバッ」が重要とのこと。ならばということで、今回の旅行は、その”買い出し”が主要な目的のひとつとなりました。ただ6つの太鼓から成るこの打楽器の運搬は、容易ではありません。購入は当然旅の最後。とりあえず売っている店の見当をつけて、地方へ向かいました。

メイッティーラ

メイッティーラは、アジア太平洋戦争中、「メイクテーラ」と呼ばれて連合軍との攻防戦が繰り広げられた激戦地。当時、少年だったウ・マウンコー氏は、旧日本兵と接して日本語を会得し、戦後、メイッティーラで日本語を話すミャンマー人の第一人者となりました。

日本語と英語を教える僧侶ウ・ダマタラ師の寺子屋を訪れたウ・マウンコー氏。いわばメイッティラーにおける日本語教育のパイオニア。

ヤンゴン

ヤンゴンに戻って、打楽器のチャウッロウンバッを物色します。

シュエダゴンパゴダには、伝統楽器も売っている。

購入したチャウッロウンバッ。帰国後、ミンガラードー舞踊団に寄付。