バマー・ムスリムの歴史~国家理念とバマー・ムスリムの存在

ビルマのイスラム教を特徴づけるバマー・ムスリム。社会的に「ビルマ民族」とみなされないその存在をどうとらえるか。それについては、近代における民族主義というものが、民族の自覚を促し、その裾野を広げて民族集団をつくりだす政治的運動でもあったということを考えなければなりません。つまりそこでは、「民族の範囲」が必要とされたのです。したがって、アウンサン将軍とウ・ラザッが行った「バマー・ムスリム」についての協議というのは、「ビルマ民族」の範囲についてのものであり、バマー・ムスリムがビルマ民族であるというのは、その結果ということになります。

ビルマの国家理念からすれば、バマー・ムスリムが異なる民族としてその独自性を保ち、それが認められた上で、「国民」としての権利や地位を対等に保証されることが最善と言えましょう。しかしそれは理想像であり、ウ・ラザッの念頭にあったのは、まずは「国民」の権利を得ること。そしてそれは、形式的なものではなく、仏教徒ビルマ民族と同等であるという「実質」が必要だったのです。そうして下された選択によって法的にビルマ民族という地位を得ることとなったバマー・ムスリムですが、実際に社会がそれを受け入れるか否かは、「法」よりも「慣習」にかかっています。したがって「ビルマ人=仏教徒」という概念を持つ仏教徒中心社会においては、一種の意識改革が必要でした。

近代における「民族」はある程度政治的な存在と言っていいでしょう。近代国家建設過程にあった世界各国においては、一般に民族意識の薄かった民衆に対して、同一民族としての一体感を目的とした意識改革が民族主義教育という形で行われたのです。ビルマにおいては、「ムスリム」という異民族的な存在を「ビルマ民族」とするだけに、より一層の動きが必要とされたはずです。しかし、ウ・ラザッは、そこへ至る前に、アウンサン将軍と共に暗殺されてしまった。それによって、「国民」として法の上のみならず社会通念上においても仏教徒と平等な「バマー・ムスリム」を夢に見た彼の願いは、法的地位の確立という土台作りのところで終わってしまったのです。