バマー・ムスリム・ナッ

この二兄弟にまつわる伝説は、11世紀のバガン王朝時代に遡ります。

ビルマ人初の統一国家とされるバガン王朝。その名君アノーヤター王(在位1044~1077)には、ビャッターという忠臣がいました。言伝えによれば、ビャッターは幼少の頃、船の難破によって兄弟と共にインドから漂着したそうです。こうしてビルマで暮らすようになった彼は、珍獣の肉を食べたことで超能力を身につけ、その後アノーヤター王に仕えるようになりました。王宮における彼の日課は妃への献花。空を飛ぶことのできた彼は、神々の住む聖なるポッパ山へ花を摘みに行くため、王都バガンから約40キロの距離を毎日往復していました。そんな彼はこの山に住むメーワナという名前のパンザー・バルーマ(花を食べる女鬼)と恋に落ち、そしてふたりの間からミンヂー・ミンレー兄弟が生まれました。これはビルマ人なら誰もが知っている有名な説話だそうです。

ミンヂー・ミンレー兄弟(左右)と母親のメーワナ(中央)。

さて、超能力者と鬼との間に生まれた二兄弟は、当然のごとく超人的な能力を備えていました。そして父と同様、アノーヤター王に仕えていた彼らでしたが、思わぬところで命を落としてしまいます。

アノーヤターは、王権の浸透と国家の統一を図るべく上座部仏教をビルマに取り入れた王とされています。こうした国家建設の過程では、仏陀の遺歯といった一種の聖遺物獲得が国家事業として行われました。そして、そのための遠征が行われ、二兄弟はその力を発揮。功績を残しました。そんな彼らに災難が降りかかったのは、遠征一行が、帰途立ち寄ったタウンビョウン村にパゴダを建立することとなった時のこと。家来たちはひとりにつきひとつづつ煉瓦を積み上げなければならなかったのですが、二兄弟はそれを怠ってしまいました。そのため罰として竹の棒で打たれることとなった彼らは、かねてよりその超能力を妬む者の企てにより、思いがけなく死んでしまったのです。そのことが王の耳に入らぬうちにパゴダは完成。エーヤワディー川に浮かぶ王の一行を乗せた船は、出発の運びとなりました。ところがいっこうに前へ進んで行かない。不審に思った王がまわりを見てみると、二兄弟が後から船を引っ張り、進まないようにしていたのでした。そこで王は、彼らに問いかけました。そして事のいきさつを知り、死んでナッとなった二兄弟のために神殿をタウンビョウン村に建立したそうです。

ミンヂー・ミンレー兄弟が煉瓦のはめ込みを怠ったとされる箇所。

タウンビョウン・ブウェは、このようにしてナッとなったミンヂー・ミンレー兄弟の伝説を由来とするものです。そしてその伝説によれば、父ビャッターはインド人のようです。ゆえに彼ら兄弟は「カラー・ナッ(インド人の神)」とされています。さらに豚肉を食べなかったという言伝えから、ムスリムだったとも考えられ、「バマー・ムスリム・ナッ」と言われることがあるのです。そうしたことから、タウンビョウン・ブウェの会場内にはさまざまな屋台がありますが、豚肉は一切タブーとされています。

このように信仰の対象となっている二兄弟ですが、そんな“ムスリム・ナッ”の存在について、ムスリム自身はどう見ているのでしょうか。

厳格な一神教という立場からすれば、それはとうてい受け入れ得るものではありません。したがって「無関心」がその基本的姿勢。しかし実際には、同じムスリムでもナッに対するとらえ方は必ずしも一様ではありません。とりわけバマー・ムスリムの場合、必ずしも全面否定というわけではないようです。つまり、ナッの存在をあえて否定しない場合があるということ。さらには、稀なケースと言えるかもしれませんが、事実上のナッ信仰すら見受けられることがあります。ビルマ人であり、かつムスリムであるというアイデンティティーを持つバマー・ムスリム。ナッというものを唯一神アッラーが火や空気から創り出したジン(Jinn)という精霊の一種としてとらえ、生活の中からそれを排除しない、あるいは受け入れるといったことが、彼らの中で皆無ではないのです。そうしたことが割合としてどれくらい存在するのかはわかりません。ただ、その生活を垣間見ていると、彼らとナッとの関わりに出くわすことがあります。たとえば、ナップウェへの参加やナッカドーを家に呼んでの相談事など。また非常に特殊なケースとして、ナッカドーをしているムスリムすらいるそうです。