東京のミャンマー人コミュニティ~リトルヤンゴンの成り立ち

高田馬場がミャンマー人コミュニティの中心地となって20年以上が経ちます。なぜ高田馬場なのでしょうか?

日本で暮らすミャンマー人は、現在(2018年6月)2万5千人ほどで、ひとつのコミュニティを形成するに至っています。

こうした動きの始まりは主に90年代に入ってから。1988年の民主化運動を弾圧して成立した軍事政権下のミャンマーから、政治的な理由などによってさまざまな方法で来日した人々は、その多くが都内に暮らすようになりました。とりわけ西武新宿線「中井」駅近辺は「リトルヤンゴン・ナカイ」と言われ、ミャンマー料理店や輸入雑貨店が存在するミャンマー人街となり、のちにそれが高田馬場に移り、現在至っています。

このような東京のミャンマー人コミュニティ。その動きは、以下の3つの時期に分けて捉えることができます。

■第1期(1990年代)・・・リトルヤンゴンの誕生~中井
■第2期(1990年代末~2008年頃)・・・リトルヤンゴンの全盛期~高田馬場
■第3期(2008年頃~現在)・・・リトルヤンゴンの縮小とコミュニティーの変化

戸山公園でのダヂャン(水祭り)=2019年4月