以前は各小売店で行なわれていたダビング方式の音楽テープ生産は、現在(2002年)、こうした「工場」で一括生産が行なわれるようになった。

 この国の文化政策の柱は伝統護持であり、そうした国家政策のもと、伝統音楽は保護され、人々の生活の中で「生きて」います。ただ、それ以上に身近な娯楽としてのポピュラー・ミュージックについては、担い手の音楽業界に、システムの面で、歌手を育て、良い作品を創り出す環境が整っていないと言えます。レーピューのデビューにはそうした「不備」をついたような面もありましたが、いざこの世界に入ってみると、彼はアーティストとして、そこに壁を感じるようになったのです。

 業界の中核は大手小売店で、ここがレコード会社に相当します。しかし基本的にここでの音楽は、カセットテープなどの形で流通する商品に過ぎません。だからリスナーという消費者のニーズに合わせた売れ筋のみに生産が偏重してしまう。売れることは大切ですが、それだけの企画を音楽プロデューサーなどが立て、人気歌手に歌わせるのです。よって歌声が商品の個人経営者である歌手は、スターに見合った収入を歌だけで確保するには、持ち込まれた企画へのより好みが難しくなります。人気スターが伝統歌謡からポップスまで幅広く歌いこなすのは、こうした業界事情も関係しています。そして現在は、複数の人気歌手によるオムニバス・アルバムの企画が大流行。これなどは売れ筋に偏重した安易で工夫のない発想の典型。娯楽としての大衆音楽というのは、「商品」として売れることと切り離せませんが、ビルマでは「消耗品」扱いの度合いがより高いと言っていいでしょう。これは意識の問題であると同時に、翼賛体制下ではそれ以外の活路はないということなのかもしれません。

 以上のような状況のもとでは、手間暇のかかるオリジナル・アルバムの制作は経営戦略の上で避けられます。手っ取り早く仕上げられるコピー曲集の方が売れるという現実の中、コーバイン・タンズィン(オリジナル曲)は作曲されても出来の良いものがコピー・アルバムの中に少し混ぜられてリリースされる程度。したがってレーピューにとって初のオリジナル・アルバムとなった『新しい世界の音楽』の制作は、けっして容易でなかったといいます。

 1本のアルバム制作にかかる費用は、レコーディングから配給に至るまでが150万チャットほど。これに歌手へのギャラを含めると、その額には幅が生じます。この国の業界は一種の「完全競争市場」なので、音楽テープに統一的な価格はまったくなく、だいたい1本3~400チャット台です。そうした状況下、彼のオリジナル・アルバム制作は業界人から相手にされず、結局資金を投じて発売に至るまでの一切を、自身でやりくりするしかありませんでした。ゆえに2年もの歳月がかかったといいます。ただ、こうして発売元になることで、彼には、通常歌手が手にしない「印税」が入ってきました。創造的な音楽活動には、こうした形でのアルバム発表はひとつの有力な手段。だからこそ彼はあまりアルバムを出さないのです。だいたい年1作。この国の人気歌手としては、かなりの「寡作」と言えるペース。流行り企画のオムニバス・アルバムを含め、年10作近いリリースが珍しくない中で、彼は主体的な音楽作りに取り組んでいるのです。

 業界の現状をつぶさに見ていくと、ビルマ・ポップスに対して楽観的な見方はできません。特に近年は、魅力的な大物歌手が相次いでビルマを去る、あるいは死去するといった状況も続いています。とは言え、そんな状況下でも希望を失わず、真摯にビルマ・ポップスの発展を願いつつ音楽づくりに取り組んでいる良心的な歌手たちもまだ少なくありません。そうしたアーティストたちは、一様に現状を「一過的」なものとして捉えているようです。大衆にとってたいへん近いところにある歌謡曲は、ゆえに社会への影響力も決して小さくありません。それだけに社会情勢の変化による翻弄の大きさを身に染みて知っている人気歌手たち。歌でこの国の人々の心をとらえ続けてきた彼らは、じっと時代を見つめているのです。

 困難な業界事情があるものの、音楽としては実に面白みのあるビルマ・ポップス。ユニークな魅力に溢れる伝統音楽が人々の生活の中でしっかり生きており、それがポップスと切り離せない存在となっているところに大きな可能性があります。ロックの世界でも、そうした伝統的要素を盛り込んだ独自性のある音楽の創造が、レーピューとその音楽仲間たちによって試みられています。現段階ではその成果はまだはっきりとした形となっていませんが、「音楽は私の神」と熱く語る彼の音楽魂には、ビルマ歌謡界の未来に期待を抱かせる情熱があります。ビルマ・ロックのヒーロー、レーピュー。注目に値するアーティストです。