バマー・ムスリムの歴史~植民地時代の分断政策とムスリム

「外来者」としてくくられていたムスリムがとりわけ「ムスリム」として意識され始めたのは、イギリスの植民地時代からと言っていいでしょう。イギリスが行った分断統治政策は、民族や宗教といった枠組みを否応なしに意識させ、それを利用するものでした。情報省の刊行物の中で指摘されているような、植民地時代におけるイスラム・仏教間のメディア上における中傷合戦も、こうした政策の延長線上のものと考えられます。そうしたところからムスリムもひとつの集団として意識されるようになってきたのでしょう。ただ、それ以上に意識されたのが、この時代になって新たに移住してきた「インド人」でした。この時期に急増したイギリス植民地政府による政策移民ともいうべき“ニューカマ”のインド人は、当然「カラー」にあたる人々です。そして、こうしたインド人とビルマ人との衝突などがあって、この植民地時代に「カラー」というもの自体への見方がビルマ人の意識の上で「負」の方へ向いてしまった、と言えるでしょう。そしてその「負」の方向は、独立後とりわけムスリムに向けられるようになっていき、現在に至っているのです。