■ステレオ歌謡との出会い

1991年、ヤンゴンの繁華街にある音楽テープの露店で視聴した曲は衝撃的でした。

路上の喧騒の中で流れてきた曲は、日本でもカバーされてヒットした南米のダンス音楽「ランバダ」。ミャンマーの伝統楽器を交えた演奏をバックに男性歌手がビルマ語で歌いあげる。熱気に満ちた不思議なサウンドに頭がクラクラ。1本70チャット(当時1チャット=2.45円で約170円)で買った、決して良い音とは言えない音楽テープにすっかり魅せられました。ある時は、シンセサイザーの軽やかなイントロで始まったさわやかなポップス調がいきなり転調。ミャンマー色溢れる演奏となり、さまざまな伝統的打楽器がにぎやかに登場。歌手はこぶしの利いた歌声となり、あっけにとられているうちに曲は再び軽快なポップスへ。

衝撃的なミャンマー・ポップスとの出会い以来、この国のポピュラー音楽を聴き続け、アーティストや関係者たちから貴重な話を聞いたり調べたりしているうちに、「ステレオ歌謡」といわれるミャンマー・ポップスの姿が見えてきました。これについては、日本でもミャンマー好きの人たちの間でスター級の歌手などが細々と知られていますが、その情報は断片的です。そしてミャンマーの歌謡界は、2011年の民主化によって大きく変化しました。2012年の事前検閲廃止など、さまざまな規制が撤廃され、歌の内容だけでなく衣装など、パフォーマンス全体について軍政時代には許されなかった表現が可能となり、物理面では音楽関連の技術も進歩しました。

現在も変化し続けているミャンマー・ポップス。この軍政時代までをひとつの大きな区切りと考え、そこまでのステレオ歌謡(ミャンマー・ポップス)について、その全体像を極めて大雑把ながら取り上げます。

1991年、試聴させてくれた衝撃の音楽テープ露店。