レーピューが歌謡界進出の際、その野望ゆえに避けたバンド「エンペラーズ」。そのヴォーカリストのゾーウィントゥッは、ビルマ・ロック界の草分け的存在とも言える人気スター。レーピューにとっては先輩格にあたります。しかし今や、彼はこのゾーウィントゥッと共に二大ロックスターとして並び称されています。サウンド的にはヘビメタの影響を受けているレーピューの方がより硬質なものを追求しているような感じですが、音楽的なオリジナリティーという点ではそれほど違いはありません。両者の違いが出てくるのは、もう少し先のことと言っていいでしょう。なぜならこの国において、ロックは音楽面だけにとどまらないひとつの外国文化として長らく規制を受けてきたから。本格的なロックはビルマ人にとって「新しい音楽」なのです。
こうした規制が一定程度取り外されたのは、経済の開放政策が始まった1989年ころ。以来、ロックは従来から比較にならないほどの度合いで聴かれるようになり、そうした変化がレーピューなどのスター誕生につながっていきました。ただ、このような「スタイル」の上で解放が進む一方、「内容」に関わる表現の自由について言えば、現状は逆にかつてないほど厳しく規制された状態にあります。つまり、歌謡界では「ロック音楽解禁」と「検閲の強化」とが引き換えになっているということ。政治と経済の「バランス」がこうして維持される中、そのことを象徴するかのごとく、ただひたすら外国ポップスがコピーされるようになり、これが一種の「氾濫」状態にまで至っているのです。とりわけ「黎明期」のロックは、氾濫を超えて「一辺倒」。そんな中で、レーピューは1996年、全曲オリジナルという画期的なアルバムをリリースしました。タイトルは『新しい世界の音楽』。2年近くの歳月をかけて完成させたこの作品は、従来の経験がよく生かされたなかなかの好アルバム。音楽的にはとりわけビルマらしさを盛り込んだものではありませんが、彼の熱い意気込みが感じられる力作です。
この国のポップスには、もともとコピー曲が多いという特徴があります。しかし同時に、ビルマならではの個性溢れた面白味のあるオリジナル曲(ビルマ語で「コーバイン・タンズィン」という)もたくさんある。これが大きな魅力なのですが、「経済開放」とそれに伴う社会情勢の変化という波に音楽業界全体が呑み込まれてしまったことや検閲強化などにより、作曲家自体が減ってきています。現状を見ると、薄利多売でしのぎを削る競争状態の音楽業界は、あたかも活況を呈しているかのようですが、それは音楽的な充実と切り離して考えるべきです。