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音楽にはさまざまな楽しみ方がある、というわかりきったことを、あらためて再認識させてくれる作品です。
このアルバムには、リリースされた時期を意味する「許可年」(政府の検閲を通過した年)の記載がありません。しかし、おそらくは「1981年」だと思われます。
アルバムのタイトル曲となっている「テレビジョン・ピューピュー(♪)」では、ミャンマーにテレビが来た!と新時代に対するワクワク感が歌われています。ミャンマーのテレビ放送は1976年に試験的に導入され、1981年に全面放映が開始されました。よってアルバムはこの年にリリース(許可年)されたと推測されます。実際、メースウィのディスコグラフィーを見てもわかるように、1981年というのはミャンマーで大量の音楽テープが検閲に通過した年。当時はビルマ式社会主義という規制の多い体制下。アルバムは、制作後に政府の検閲で何年も待たされる場合もあります。そうした中で、テレビ元年とも言うべき年に大量の作品が検閲を通過。テレビ放映との関連は明らかではありませんが、人々がテレビを所有する家に集まり、家庭で映像を楽しむ時代が始まり、皆一様に喜んでいる中でリリースされたこのアルバム。当時の世相の一端を感じることができます。
こうした新時代到来を歌った当時二十歳前のメースウィは、デビューして5年そこそこという新進気鋭の天才歌手。その弾けるような元気一杯の歌声で新たな時代の喜びを歌いあげました。テレビという最新技術の到来がテーマですから、音楽スタイルは当時大流行のディスコ調。実際、世界のディスコブームは1970年代にピークを迎えていますから、若干のタイムラグはありますが、当時の体制下ではこれが最先端。若さ溢れるメースウィが、アルバムのジャケットで「STEREO AND DISCO QUEEN」と銘打たれ、ジーンズをはき、7UPを飲んでいる姿からは時代の空気が感じられます。
アルバムの曲目は、洋楽のビルマ語カバーが中心。なお、ジャケットに記載されている「STEREO(ステレオ)」というのは、ミャンマーの歌謡曲における主要な音楽ジャンルのひとつで、ミャンマー人は「スティリヨ」と発音(ビルマ文字でもそのように表記)します。現在は、伝統歌謡に対する「ポップス」に相当する意味合いで使われるようになってきていますが、この用語には、もともとは1960年末頃に登場した、「モノラル」のラジオでは放送されない「ステレオ」の音楽といった意味合いがあります。そこには「ミャンマー・タンズィン」と言われるミャンマー風メロディの曲も含まれていました。しかし現在では、ミャンマー・タンズィンは伝統歌謡の要素とされているため、こうした曲調は伝統歌謡とみなされるようになってきているようです。よって1980年代ならばSTEREOの範疇とされた音楽の中には、伝統歌謡とされるようなものも出てくるかもしれません。
このアルバムは、今では古臭いディスコ調の洋楽をビルマ語でカバーしたチープなサウンドに聴こえるかもしれません。しかし、音楽は時代を反映した文化でもあります。アルバムのジャケットから時代の背景を知ることで、その空気がそのサウンドから感じ取れる。膨大な数のアルバムを出しているメースウィにとって、代表作でないどころか、忘れられたアルバムかもしれません。しかし、閉ざされた時代のミャンマーにおける歌謡史の意味ある1ページと言える作品なのです。