ビルマには「政府は国民の親」という考え方があります。これは、政府によって学校教育などの場を通して教え込まれ、仏教においても教えのひとつとして説かれています。そんな国民教化は、この国における親子関係とも関わっているようです。
ビルマでは、「子供は何歳くらいになったら親から自立するものですか?」といった質問は成立しません。なぜならば、子供が親から自立する、という考え方が一般的に存在しないからです。この国では、自分にその生を授けてくれた親の存在というのは、ある種絶対的なもの。個別的にさまざまなケースは当然ありましょうが、子供は親を乗り越えるものではないようです。つまり、たとえどのような親であれ、自分が存在するのは親のお陰。よって「恩返し」は子供のすべき責務であり、そうした「道徳」は当然のこととして実践されています。
奉仕活動は、それが「当然」であるという風潮が存在することによって、広範囲の実施が可能となります。一般庶民の間にそうした風潮があるビルマにおいて、当然の奉仕というのは、「政府の権力による国民教化政策」、「仏教信仰を通じての教え」、「社会通念としての倫理観」といったところが一体化した道徳的な行為であり、そこに物理的な強制力が相まって一層幅広く実施されています。
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貨物トラックを通して垣間見えるビルマの日常茶飯。そこには人々の奉仕活動がありました。自主的にせよ強制的にせよ、ビルマでは、こうした国民の活動は、国家建設、地域社会、政府などにとって大きな役割を果たしているようです。