バマー・ムスリムの歴史~王朝時代の国家観とムスリム |
ここではまず、王朝時代における国家観というものが基本的に現代と異なっていた(ビルマに限ったことではありませんが)ということを念頭におかねばなりません。つまり、現代における一般的な国家観の根底には、「近代国家」といわれる国家のあり方があるということです。
近代国家というのは、国民国家あるいは民族国家という具合に表現されることがあり、これは、「民族」というものを基本的な枠組みとする国家であることを意味しています。近代においては、そうした国家観のもとから民族主義や民族の覚醒といった動きが起こってくるのです。
しかし、王朝時代の国家における支配体系の枠組みは、王権との主従関係を基本としていました。つまり国家の支配下にあるのは王と主従関係にある「人」であり、「領域」や「民族」といったものではなかったということです。したがって「民族」は確固たる枠組みとなる単位でなく、また各々の違いについてもとりわけ意識されるものではなかったと言えます。ゆえにビルマの王朝時代における「ムスリム」という「宗教」的な集団についても、その存在に対する認識こそあれど、それ自体は王朝の支配体系におけるひとつの枠組みではなかったと考えられます。そうした中でムスリムがどのようにとらえられていたかという点については、彼らに対する王朝側からの「カラー」という呼称がそれをあらわしています。
王朝時代、「カラー」というビルマ語は、「インド人」をはじめ広く西アジアやヨーロッパから来た人々に対する呼称となっており、「外来者」という意味合いの表現でした。つまりムスリムは、当時「インド人」や「ムスリム」といった枠組みではなく、「外来」の「人」という別のとらえ方の中におけるひとつの存在だったということです。