バマー・ムスリムの歴史~バマー・ムスリムの成立 |
植民地支配からの独立にあたって、ビルマの指導者たちは、「民族・宗教の違いを超えた連邦国家」をその国造りの理念として掲げました。それは、民族というものを基本的な枠組みとはしていなかった王朝時代における支配体系を、多民族地域という実情に合わせて引き継いだ部分があると言えるかも知れません。こうした近代国家の時代において、その国造りにあたって、古くからビルマに住む「ムスリム」たちは何らかの「民族」となる必要があり、その選択を迫られます。
ビルマのムスリムは、民族的な系統で言えば、おそらくその多くがインド系でしょう。そしてその他には、アラブ系、イラン系などが考えられます。ただ、彼らのアイデンティティーの中心は「ムスリム」であり、それは血統的な民族性に優先するものだったといいます。ビルマは1948年に独立しますが、それに先立って、ムスリムたちの指導者ウ・ラザッ(Bumar Muslim Congress議長、ムスリム名アブドゥル・ラザーク)は、独立運動を共に戦ってきたアウンサン将軍と、独立後におけるムスリムの地位についての協議を行ないます。その内容は、ムスリムはそれ自体でひとつの「民族」という立場をとるか否かというものでした。つまり、従来「カラー」として外来者扱いされ続けてきた彼らが、連邦国家ビルマを構成する同胞民族として、シャンやカレンといった領域内における土着の諸民族と同様の独自性を持つ少数民族となるか、それとも「ビルマ民族」に含まれるかが問われたのです。そして、ウ・ラザッが最終的に下した結論は「ビルマ民族」でした。以後、この取り決めが、イギリスの植民地支配とそれに対する独立運動の中で自らを「バマー・ムスリム」と呼ぶようになっていた彼らにとっての民族的定義となったのでした。そういう意味では、彼らの存在自体は王朝時代に遡る歴史的なものであっても、その民族的な部分での定義やアイデンティティーといったところは、植民地時代以降の政治的な動きの中から湧き上がってきたものとして見ることができます。