Myat Endra Swe さん(エンダラさん)23歳
東京電機大学 修士2年生 Life Academy を主宰
※名前の表記は、ご本人のお申し出通りの記載なので、本サイトの法則とは異なる場合があります。
「お金をたくさん使う世代の子どもが3人もいるものですから」。
日本で家を購入したご両親と、妹、弟の、5人暮らしというエンダラさんに、ご両親とも働かれているのですかと聞くとそんな答えが微笑みとともに返ってきた。何が言いたいかというと、ものすごくきれいで的確な、そしてのびのびとした日本語を使う人だということだ。日本人の若者で、今、彼女くらい日本語を丁寧に使いこなす人がどのくらいいるだろう。
初めて日本に来たのは2009年2月。小学校6年生のときだ。先に親戚を頼って来日し、日本語学校に通ったのち仕事を始めていた両親のもとへきょうだい3人が加わったときには、ほぼミャンマー語しか話せなかった。その彼女が約10年の日本暮らしの中で学んだこと、東京電機大学に進学し学ぶ中で、ミャンマー人として見えてきたことを聞いた。
「同期120人の中で女子が6人しかいなくてびっくりしました」。
エンダラさんが通うのは、東京電機大学(以下電大)の工学部電気電子工学科。ミャンマーでは、電子回路の企業などへの就職もできるため人気で、男女比は半々の学科だというが、日本では男子が中心。私もよく知らず、何を勉強しているのですか? と聞いてみたら、丁寧に説明をしてくれた。
電気エネルギーの輸送・インフラなどを担う「強電」と、通信・制御・情報に関する電気分野を担う「弱電」があり、エンダラさんは「弱電」、中でも、太陽電池に使う材料を医学検査で使うための研究をしているのだという。もともと医学に興味があり、治療はできないけれど、ウィルス検査薬などをつくる研究をする「検査医工学」を学び、今は東京慈恵医科大学の実習生もしている。
実は、2014年に一度、日本にいる親元を離れてミャンマーに戻り、タンリン工科大学に入学している。というのも日本の大学の学費は高い。ヤンゴンに祖父母や叔父叔母もいたので帰国した。
しかし学んでみて、エンジニアを目指すなら、ここじゃないなと思ったという。まず、実験がとても少ない。あったとしても、材料費がかかるためか、教員が実験を行ない、生徒は見ているだけというスタイル。日本の教育を受けてきたエンダラさんにとっては違和感が拭えなかった。「これでは実力はつかない」。
他にも自身がデング熱で入院して祖父母に心配をかけたり、学費は安くても研究に関する出費が学生持ちだったり生活費などがかかったことなどから、それなら日本でアルバイトしたほうがいいと決心。再来日タイミングで奨学金を探した。成績条件もクリアして給付型の奨学金を受け取ることができ、2016年4月から電大に入学した。
現在、修士課程の2年生だが、このまま博士課程に進み3年、その後、できればそのまま電大での就職を希望している。指導教員が期待し、推薦してくれ、「がんばれ」と応援してくれる環境をありがたいと思う。「望まれているところで力を発揮したいなと思います」。修士課程では、授業の何コマかを担当する「特任助手」という制度があり、経験を積むことができるのはもちろん給料も出るので申し込む予定だ。
しかし、実はエンダラさん、「一番なりたくない職業は先生」と、小さいころからずっと思って来たという。というのも、「私自身がすごく面倒くさい生徒なんですよ(笑)」。先生から「おしゃべりさん」「ねじ」などとあだ名をつけられるほど、ねじのように、同じところをぐるぐる回る、納得できないといつまでも質問を続ける子どもだったのだそうだ。公式はそのまま覚えればいいのに、「この公式はなぜこうなるの」と先生を質問攻めにし、困らせてきた。「私みたいな生徒がいるから、先生には絶対なりたくない」と思ってきた。
その気持ちが変化していった背景には、日本での暮らしがあった。
2019年、電大の大学院入試のときに、日本語能力試験(JLPT)の最新の結果が必要と言われ、「2014年12月にも1級(N1)をとっていたのですが、もう一度受けました。そうしたら、たまたま、満点をとったんですよ」。
彼女は「たまたま」という言葉を使ったが、どんな試験でも「満点」をとるのは容易ではない。その「満点」をとった。「そうしたら、SNSなどで、どうやって勉強したの? と質問や相談を受けるようになったんです」。日本語の勉強の仕方のほか、ビジネスで来日しているミャンマー人からは、敬語の使い方やビジネスシーンでの応対の仕方なども聞かれた。
そんな機会が増え、日本語の勉強の仕方を投稿しようと、2020年から「JLife by Endra」というミャンマー語のFBページを立ち上げた。JLifeはJapan Lifeのことで、日本語の勉強の仕方はもちろん、日本の文化のこと、大学の授業の受け方など、自身の日本の生活を伝えたいという思いがあった。
SNSを通じて、いろいろな人からいろいろなことを聞かれ、答えるようになっていった。質問を受けてみると、それが面倒くさい質問であっても放っておけない自分に気がついた。自分がしつこく質問してきたから、その子が求めるものがものすごくわかった。この子にはこうやって伝えればいい、この子は暗記の方がいい、そんなことも自然とわかった。そして、教える立場になると「口が悪くなっちゃうんです(笑)」。はっきりとモノを言うエンダラさんは、逆に「アテになる先生」として慕われるように。そして生徒から「合格できました!」という報告が届くと「役に立って良かった!」と大きな喜びを感じた。そんな中で、「教える」ことは自分に向いているのかもしれないと感じるようになったのだという。
「それなら、料金をとって、本当にやりたい人、がんばってる人を、最後までサポートしよう」と2021年の9月から、ミャンマー人向けに、オンラインの日本語クラス「JLife Academy」を友人と立ち上げた。現在、教師2名スタッフ1名の体制だ。日本語能力試験5級合格を目指す基礎的なクラスからスペシャルクラスまで5種類のクラスをつくった。日本にいるミャンマー人もいるが、現地から日本を目指す人も多い。
そんな中、受講料も現地価格としてはかなり高めの2ヶ月12000円〜設定。ただし、料金を払うのが大変という人向けに、奨学金制度も設けた。毎月の定期テストで90点以上取った人の中から審査により若干名に翌月の月謝は無料にするというもの、また、成績や経済状況を審査した上で、学ぶ意欲のある学生の授業料を肩代わりするするドナーを募り援助するドナー奨学金など。ドナー奨学金を希望する学生は少なくないので、ドナーは常時、募集している。
5クラスの中でもエンダラさんが担当するスペシャルクラスは月額7000円(75000ミャンマーチャット)と、現地の公務員初任給が10万チャットともいわれる物価の中で、相当高額だ。新たな試みで臨むクラスなので「3〜4人集まれば十分かなと思ったのですが、初日に申し込みが30人を超えまして」申し込みをストップした。
スペシャルクラスの「新たな試み」とは、エンダラさんが日本で学んできて良かったと思う学び方で教えるという試みだ。小学校6年生のとき来日したエンダラさんは、豊島区の地元小学校に転入した。しかし日本語がわからないので、午前中は、区が外国人生徒を集めた特別クラスを用意してくれていた。
豊島区の小学校に転入して、最初の3ヶ月はとにかく先生と日本語で話したという。その後、1ヶ月1学年のペースで、小学1年生からの「国語」を学んだ。「日本語テキストでなく、国語の教科書と漢字ドリルで学びました」。国語の教科書と日本語テキストはかなり違う。たとえば「おおきなかぶ」という絵本に出てくる「うんとこしょ どっこいしょ」は、日本語テキストで学んだミャンマー人にはチンプンカンプンだ。
「どうやって勉強すればいいのですか?」と聞かれると「勉強じゃなくて経験が大事」とエンダラさんは答えているという。日本の子どもが学ぶやりかたで、日本人が日常生活の中で使う言葉に触れる日本語勉強法にトライするのが「スペシャルクラス」だ。
日本語能力試験1級の満点をとったエンダラさんは、日本語能力試験のテキストで学んだことはないという。日本人と同じ方法で「国語」を学ぶことで、あらためて学ばなくても、ビジネス検定にもチャレンジできるし、就職のための自己PRカードも書けるようになるという。ビジネスで来日する若いミャンマー人が近年多いが、彼らは皆、ビジネスシーンでつまづく。そんな様子を見てきて、1年後2年後に来日を目指しているミャンマー人の富裕層に向けて、このクラスは開講を決めた。
とはいえ、実は「今は正直大変です」とエンダラさんは言う。現在、修士2年生、授業や実習のほかに、修士論文を書かなければならないし、学術論文も書かなければならない。そんな、ものすごく忙しいタイミングに有料の日本語クラスを始めたのには、理由がある。
「今月、ヤンゴンの祖父がコロナで亡くなりました。今、ヤンゴンではコロナ感染率70%、致死率40%と言われています。ミャンマーに届ける酸素や薬が必要なのは、今、です。1年後じゃない。コロナで大変な状況の中、ミャンマー軍に村ごと燃やされ避難している人たちもいる。だから、忙しいけれど、今やろうと決めました。目的は寄付です」。
エンダラさんと同じく電大生の妹、高校生の弟もいる。学費も生活費も大変なのではありませんか、とおそるおそる聞いてみると、「それは両親にがんばってもらいます」と笑う。とはいえよくよく聞いてみると、大学で先生のサポートをしたり日本語指導などで得るアルバイト代はそのまま両親に渡していると言うので、日本の若者たちとは感覚がだいぶ違うなあと話を聞いた。とにかく、今回スタートする有料日本語クラスの目的は、後にも先にも「今、大変な母国への寄付」。それにつきると言う。
「祖父には間に合いませんでしたけれども」、薬や酸素などの医薬品の寄付のほか、内戦の危機が危惧される昨今のミャンマー避難民への食料の寄付、また2022年のノーベル平和賞候補にも推薦されているクーデターへの静かな抵抗CDM(civil disobedience movement/不服従運動/仕事に行かないという非暴力の抵抗)参加者への寄付など、届けたい先はたくさんある。
日本で教員になったら、こちらにいる可能性が高いと話すエンダラさんに、2つの国について聞いた。「日本で研究をしているので途中でやめるわけにはいかないですし、ミャンマーに完全に帰国するという選択肢はないと思う。行ったり来たりしたいです」。今年スタートした前述「JLife Academy」は、いずれミャンマーでも学校を持ちたいという夢があるという。「もし軌道に乗れば、JLife Academyで学んだ生徒を雇ったりもしたい」。
一方、日本で家を購入した両親は、いずれはミャンマーに帰ってのんびりしたいと言うこともあるし、日本に暮らしてときどきミャンマーに遊びに行きたいと言ったりもする。「両親が日本に住むにせよ、ミャンマーに住むにせよ、自由に行き来できるように、やりたいようにさせてあげれるようにはしたいと思っています」とエンダラさんは言う。「これだけやりたいことが多いと、わたし一生独身ですね(笑)」。
今では、日本で過ごした年月の方が長くなったエンダラさんに、どちらを母国と感じるかと聞いてみた。「ミャンマーは私にとってお母さん、日本は里親のようなもの。どちらも無視はできない。私がどちらを選ぶかと聞かれるなら、そのときに必要とされるところに貢献します」。よどみなく、そう言う姿がすがすがしかった。
日本とミャンマーの好きなところ、嫌いなところも聞いてみた。
「日本の好きなところは・・・いっぱいあります」と少し考えて、「相手をひとりの人としてちゃんとリスペクトができること。小さな、あたりまえの気遣いができることかな」と言う。ミャンマーでは、こんにちは、ごめんなさい、が言えない人も多いとエンダラさんは言う。習慣がなかったり、プライドが高かったり。「日本では、小学生のころから道徳の授業で教えられているせいかもしれません」。
逆に嫌いなところは、ネガティブになりすぎることだと言う。「決断が遅い」。日本人2人と一緒に練っていた企画があったそうだが、2ヶ月話しても3ヶ月話してもいっこうに実行に移せず、やる前から迷い、完璧に安心できるプランになるまで行動できなかったという。「でも何か始めても、途中で変わりますよね。だから私はまず、動き出したい」。
ミャンマーの好きなところは、寄付の気持ち。世界寄付指数(world giving index)では何度も世界1位となるほど、寄付大国のミャンマーだが、とにかく思いやりの気持ちが強いという。「ミャンマー人は、相手に起きていることが、自分のことのように思えるんです」。SNSで、CDMに参加して明日食べるごはんがないという投稿があると、みんな一斉に寄付を送る。その金額が500チャット(30円)、1000チャット(60円)というのを見ると、寄付する側もぎりぎりなのがわかるという。それでも、相手の苦しみがわかってしまうから、できることをするのがミャンマー人だという。「そして見返りを求めない」。
嫌いなところは、親しくなると遠慮がなくなり、会った途端に「太ったね」「元気ないね」といきなり外見のことを口にする。距離感がつかめていない。「親しき中にも礼儀はあった方がいいと思います」と日本のことわざを引いて話してくれた。
2021年2月1日にミャンマー軍が起こしたクーデター。これについては、ただ「あきれています」と言う。民主主義が成立していた国をひっくり返す、意味のない行為。
エンダラさんは、当初から、自身のSNSで「今、日本でできること」をまとめて発信したり、日本ミャンマー友好協会のシンポジウムに登壇したり、そして、自分にできる寄付をしたりと、行動に移してきた女性だ。今回エンダラさんに取材を申し込んだのも、私の地元千住の電大キャンパスに通われているという親近感のほかに、このような活動が、直接会ったことのない私にまで届いていたということがある。若い世代であるのに、その日本語でのメッセージがいずれも、わかりやすく、かつ的を射ていたことからぜひ会ってみたいと思った。
現地で医者をしている友人が、ミャンマー軍に撃たれて運ばれてきた患者を治療している間に次の患者が運ばれてくる様子に無力感を感じ、「治療する間に自分が出ていき、兵士をひとり倒したほうが早いのではないかと思う」と話していたと、前述日本ミャンマー友好協会のシンポジウムでエンダラさんが話していたが、今は、その友人と連絡がとれないのだという。「無事でいてくれることを祈るばかりです」。
今、ミャンマーでは若者たちが、かねてからミャンマー軍と戦ってきた少数民族に教えを請い、PDF(人民防衛隊/国民がつくった軍隊)に参加する動きがあるという。また、PDFやNUG(国民統一政府/ミャンマー軍のクーデターに対抗し国民がつくった政府)が宝くじを発行し、資金を集める動きもあるという。「みんな爆買いしています(笑)」。
ミャンマー軍の強大な武力に、武力で対抗するのは無茶なのではと問うと、PDFは、攻めているわけではなくて、これまで素手で、攻撃される一方だった国民の、安全エリアを広げているだけです、と話しながら、必ずしも国民側が弱いとは言い切れないと思いますと冷静な口調で言う。「数的にはとても少ない少数民族の武力団に、これまでミャンマー軍は勝てていません。それに、今はIT時代なので、お金さえあればドローンでも攻撃ができます」。何より、国民の気持ちが、ミャンマー軍から完全に離れていることは大きい。このところ、ミャンマー軍から兵士が武器を持って脱退してくる動きもあるという。
最後に、日本人に伝えたいことを聞いた。
「ミャンマーは今、瀬戸際にあり、大変な状況は変わっていないのに、日本のメディアに取り上げられなくなってきました。だから、みなさんがメディアになってほしい。まず、知ること。そしてそれを友人に話したり、SNSで伝えて欲しい。ただし、伝える際に、事実がわん曲された意見が書かれたSNSを見かけることがあるので、それはやめて欲しい。現地の人は命の危険を冒して事実を伝えているので、それを理解して、メディアとなってほしいです。それと、この戦いが終わったら、復興を手伝って欲しいと思います」。
戦いが終わったら。
ミャンマーの若者たちと話すたびに、誰ひとり「負けるかもしれない」と思っている人がいないことにこころ打たれる。戦いの終わりは勝利。優秀なこの若者が近い未来、日本の力となり、そして、日本とミャンマーのかけはしとなり、活躍してくれることを願う。
<プロフィール>
Myat Endra Swe(ミャッ エンダラ スュエ)23歳
1997年ヤンゴン生まれ。2009年、妹弟とともに、先に来日していた両親に合流。小学6年生から日本の学校で学ぶ。2014年、ミャンマーに帰国しタンリン工科大学に入学するが、その学習法に疑問を感じ、2016年、日本へ戻り、東京電機大学へ入学。現在、修士課程2年め。ミャンマー人にオンラインで日本語を教えるJLife Academy 主宰。日本ミャンマー・カルチャーセンター(JMCC)では、ビルマの竪琴も教えている。
取材:2021.8.24 @ろじこや(東京都足立区千住旭町36-1)
文 :舟橋左斗子(フリーライター)